新都の教会に向かうバスの中、その定期的な振動に眠気を誘われ迷い込んだ温いまどろみのなかで遠坂凛は二十年近く前、かつての後見人が気まぐれにつれていった中華料理店での会話を思い出していた。一般に甘味を嗜好する年頃である自分のような幼児はおろか、大抵の人間は避けて通るであろう麻婆豆腐をそうそうに食べ終え熱と辛味で歪む視界の先でこちらを見ている黒衣の男は何か、おとぎ話でもするようにその話題をしゃべっていた。
 それはこのようなところでする話ではないと、そこだけ自動機械のように動き続けていた右手と口をとめ言ってみた。それから周囲を見回してみたがなぜか周囲には誰もいなかった。ランチタイムもすぎているとはいえいくらなんでも不自然ではないかとも思ったが、調理場から響く鍋をふるう音とさらに漂う熱せられた辛味を鼻に感じ、これでは客もはいるまいと得心する。義務感と疑問が解決されると再び右手と口が動きだす。
 ―――死徒
 先ほどから男の話にはその単語がたびたび登場する。
 最近肩口まで伸びてきた髪の毛がまだまだ短かったあの頃よりさらに前、男がこの地の教会に赴任する以前に属していた組織はそれを狩るために存在していた、と男が言う。
 バカにするなと、それぐらい知っていると、口の中に含んだまま言ってから飲み込みみっともなくもたれてきた鼻水をすすり額の汗をぬぐう。皿の中身はまだまだ残っている。気がつけば目の前の男は二皿目を食べ始めていた。食べながらも説法の様に話を続ける。
 進化の系統樹に依らず世界が直接創造した超越種たる生れながらの吸血鬼、真祖によって成った吸血鬼。元をただせば只の血袋であるはずの彼らは主を失ってなお、この世に居座っている。しかも今もなお多少の代替わりはあるにせよ、二十七人を筆頭に増え続けている。しかしそもそも別種族である真祖はともかくとして、死徒の能力はどこまでいっても人間の延長線上からは抜け出せない。極端な話、時間を無視すれば死徒にできることは人間にも出来るのだと言う。
 あと数口と言うところで朦朧としてきた意識を必死で手繰り寄せながらなぜ自分にそんな話をするのかと聞いてみる。
 男の表情は、歪んだ視界では確認できない。
 しかし、その声だけはエコーを聞かせて頭の中に響いてくる。
 ―――怪異に寄ることもあるだろう
 その言葉を耳にしながら幼き日の遠坂凛は意識を手放した。

「―――んむ」
 ごとんとバスが大きく跳ねた拍子に意識が現実に引き戻される。
 窓の外を見れば既にバスは新都に入り教会最寄りのバス停からいくらか過ぎたところまで来ていた。とりあえず次の停留所で下りようと降車ボタンを押し教会からの要件に呼応されてか、昔の夢を見てしまったことを軽く後悔しながら再び椅子に体を預ける。
 先ほどの地震、その原因が代行者と死徒との戦闘らしい。ねぐらを突き止められほうほうの体で逃げ出した死徒が苦し紛れに件の時限爆弾を爆発させたという。今日の内に片付けるつもりだった手つかずの時限爆弾のうちの一つを特に術を用いるでもなく拳一つで起爆させたという話だ。 自爆覚悟、ぶちまけたガソリンの真ん中で火種を放り込むような自殺行為だが、彼にとっては運良く、彼らにとっては運悪く、その博打が成功してしまった、とかなんとか。無茶苦茶なうえこちらがその事態を避けるために苦労している時になんとも癇に障る真似をしてくれる。とはいえ教会側が私に助けを求めた、というわけではなく土地の管理者として遠坂凛に傷ついた地脈の状況を報告したいというのが今回の呼び出しの主な目的らしい。
 間桐邸跡地にできた霊道もどきの吹き溜まりもそうだが、流れの淀みや歪みはそれだけで魔的なものに対する呼び水となってしまう。
 支流とはいえど龍脈である冬木の地脈に傷をつければ、地域一帯に災厄が降りかかる。それは管理者として見逃せないし、教会に赴任してきた今の神父にとっても同様らしい。
 汝の隣人を愛せよ。
 今の神父、マルコ・マテラッツィは今まで赴任してきた人間とは似ても似つかない温厚な事務畑の好々爺である。
 真摯に神の愛を信じ、日々の恵みに感謝し、隣人を愛する、あまりに真っ当な信徒である。その真っ当さに初対面の時は裏を疑ったものだが、結局そんなものはなかった。彼はどこまでも一般人に近い位置に立っていたのだ。魔術師という在り方も死徒という異常もただ意味のない知識として留めることを実践している、奇特な人物だ。
 まさしく絶妙のバランス感覚。
 とはいえ、曲がりなりにもこの冬木に赴任してきた神父だ。異端の存在も異能の存在も、それらを狩る部門が自らの組織に存在していることを知った上でなお老境と言って差支えない年齢まで疵を負わずに生き長らえてきた時点で驚嘆に値するとも言える。噂をすれば影が差すの言葉通り、そちら側に関わるということはとりもなおさずそちら側が関わってくるということだ。実動部門ではないとはいえ、他人事ながらも揺り返しが心配になってくる。
 不意にポケットで軽快な音楽が鳴り出した。
 取り出し、開く。いつまでも経っても慣れないが、とりあえず選択肢を減らすことで対応は可能だということを最近桜から教えてもらった。
 いきなり鳴り出したら慌てず騒がず落ち着いて、
「え、ええっと、確か、ボタンを押すのよね……?そう!ボタンを押すのよ……、ボタン、ぼたん、牡丹、button……」
 たくさん―――あった。
 たくさん―――あったのだ。
「あー、もう。なんで士郎はいないのかしら。っく、この際慎二でも……願い下げね。とにかく、受話器のマークだったような……?」
 二つあった。
 右か左か、それが問題だった。
 それこそが、問題だったのだ
「……えい」
 己を鼓舞するように口に出して左のボタンをプッシュして耳につける。
 スピーカーから妙に呆けた桜の声が響く。
『あの、姉さんですか……?』
「ええ、なんの用かしら」
『先輩、繋がりました……姉さんが、姉さんが……留守録はできるのに何故か携帯をかけることのできなかった姉さんが……!』
『遠坂……たった半年の間にそこまで……』
「はいはい、いいから用件をいいなさい。こっちもこれから人に会わなきゃならないんだから手短にね」
『そのことなんですけど、今どこにいるんですか?兄さんが来ると聞きましたから何か作ってあげようと思ったんですけど』
「あいつならもう帰ったわよ、あ、そうだ。士郎に代わってくれない」
 はいという桜の返事とともに少し音が遠くなり代わりに士郎の声が聞こえてきた。
『なんだ、遠坂』
「爆弾の解除はもう必要なくなったわ。その代り地脈の修復に手間を取られそうだけど」
『さっきの揺れはそれか』
「ええ、死徒絡みらしいからちょっと教会まで事情を聴きに行くところ。そっちは聖堂教会の領分だから深くはかかわらないにしても気をつけてね」
『ああ』
「間桐臓硯に関する話も聞けたから、帰ったら話すわ」
 それを最後に通話を終了するのとバスが停車したのはほぼ同時だった。
 降車したところは教会まで歩いて三十分といったところ。折り返しのバスの時間を考えると歩くのとそう大差なかったので結局教会まで徒歩で行こうと決めて足をそちらに向け歩き始めた。

「お久しぶりです、マルコ神父」
「お元気そうで、遠坂さん」
 和やかに笑いながら、マルコ神父は私を手招きする。
 数歩の距離まで近づくと、神父は教会の奥に向かって歩き出した。
 向かう先は神父の居住部、それなりに堅牢なつくりの部屋だ。そこまでの道すがら神父は普段、決して見せないような疲労した雰囲気を背中に漂わせながらただ黙って歩き続けた。そして目的地に着くと、私にソファを勧めこちらが座ったことを見届けてから時代がかったテーブルをはさんで反対側に腰をおろした。
 一息ついてからなにから、と神父が口を開く。
 数え切れないほどの皺が刻まれたその顔はわずかに震えていた。
「なにから、話すべきでしょう」
「死徒に関することは、そちらで内々に処理すべきことでしょう。管理者としてどの地点の基部が破壊されたのかだけでもお聞き願えれば幸いです」
 神父は魔術師である私に対して言うべきではないことを言いそうになったことを恥じるように弱弱しく笑うと部屋の隅に設置されている書棚から冬木一帯の地図を取り出し、水分の抜けきった指でそのうちの一点を指差した。
 場所としては郊外の森、周辺の流れが一度合流する部分であり既に撤去した分を含めても中規模なものだった。
「ここで戦闘が行われ、小規模な崩落が起きました。その際彼らも巻き添えに―――っ」
 こらえきれなくなったのか、神父は顔を手で覆いうつむくと肩を震わせだした。
 そのまましばらく声を押し殺したままだったが、不意に顔を起こす。
「死徒は、あなた方のいうところの固有結界を有していました」
「―――」
「かのネロ・カオスと同様に己の内に展開する極小規模なもの、死徒は自分の拳を箱に見立ててその数立方pの世界に書き換えていました」
「―――」
 だんだんと熱に浮かされたようになりだした神父は口角を飛ばしながら話し続ける。
 洗礼を受け教会に入り世界の法が一つでないことを認識してからの数十年、直接的な危機に直面してこなかったであろうこの老神父が神罰の代行を担う彼らの敗北を知り、異端の鎌首が自分ののど元まで迫っていることに脅え、それを振り払うために無理に昂揚させている、とも思える。
 しかし、それ以外のなにがしか、平たくいってしまえばごく単純な狂喜の発露ともとれる。
 そういえば、神父はいかにして彼らの敗北を知りえたのか―――
「殊更に説明することもないでしょうが」
「埋葬機関」
 こちらの疑問に気付くこともなくさらに続けようとした彼を遮り私が口を開く。
 その言葉に彼はぴたりとおしゃべりをやめ、私の言った言葉の意味を考えるようにこちらを見つめる。そんな神父を見つめ返しながら私は再度、同じ言葉を口にした。私自身細かな内情を知っているわけではないが、その存在位は綺礼から聞き及んでいた。
「埋葬機関、という部署を知っていますか」
「は?え、ええ。もちろんです、特級の代行者の集まりと聞いていますが」
「今回、こちらに赴いた代行者の方々はそこの所属ではないのですか」
「いえ、何とも……。私などの地位ではその存在をおぼろげに聞き及ぶことが関の山ですので、どのような方が所属しているのかまでは。今回も彼らとは結局一言も話しませんでしたので」
「きっと違うのでしょうね、もしもそうならあなたが私とこうしていられるはずもないのですから」
「―――は。何をおっしゃっているのか、わかりませんが」」
「聖堂教会が埋葬機関を動かすようならあなた程度が滅びを免れるはずがない。と言ったのです」
 神父の表情が固まるよりも早く、魔力を込めた右足で重そうな、実際に冗談みたいに重いテーブルを蹴りあげ更に神父に向かって蹴り飛ばす。
 そのままひそかに持ち込んでいたたっぷりと魔力の詰まった宝石をたたきつけると吹き荒れるその爆風に木端微塵となったテーブルの残骸が舞い上がる。
 無論神父が、神父をかたどった死徒がこの程度で滅ぼされるわけもなく、被害と言えばいくらか埃がついた程度のもので先ほど変わらぬ様でこの部屋の出入り口に立っていた。その顔貌は変わらずマルコ神父のものだったが、それでもそこにいたのは人間ではない、人間から外れてしまったものだった。
 死徒はこなごなになったテーブルを見回し、次いで私に視線を戻した。
 逃げようとしないのは、そのまま襲いかかってこないのは、人間の範疇に収まったままの私に対する余裕の表れか。
 それとも、別の理由があるのか。
「乱暴ですね、ここは神の家ですよ」
「マルコ神父は、どこにあるのかしら」
 無論、生きているはずがないことは分かっていた。
 こと戦闘面において彼はそこいら辺でたむろしている一般人以下の、齢相応の運動能力しか有していなかったのだ
 それでも聞かないわけにはいかなかった。
 死徒は嬉しそうに、そして想像通りに私を、私の足元を指差す。
「半欠けでよろしければあなたが先ほどまで腰かけていましたソファの下に詰めてありますが」
「ああ、そう。悪趣味にもほどがあるわ」
「彼は貴女のことを信頼していたようですので。―――他人の知識、形質を補間するためには食するのが一番手っ取り早いのですよ。腕が悪ければ腕を食べ、腑が悪ければ腑を食べる。理に適った話でしょう」
「そうね、ムナクソが悪くなるという点を除けば実に素晴らしいわ」
「汚い言葉を使うと地獄に堕ちますよ」
「きっとあなたには天国も煉獄も地獄もないのでしょうね」
「さてどうでしょう。しかし随分と落ち着いていますね。まさかとは思いますが貴女代行者以上なのですか」
「まさか、よ。私程度は、そうね、死にかけの代行者とどっこいってどころでしょうよ。そもそも魔術師にとって死は隣人、忌避すべきものではないわ」
「やれやれ、安心しました。それでは―――さようなら」
「ええ、さようなら。―――最後に一言」
 さくりと、肉を刺し貫くにしてはずいぶんと軽い音が私の耳に響いた。
「―――貴方の隣人は結構美人ね」
 私の声にこたえる前に死徒の体から十本近い刃が剣山のように一斉に生え出し、いったい何が起こったのか理解できず呆然とした表情のままでその頭の中心からさらにダメ押しに一本、刃が生えてきた。そしてゆっくりと倒れこむ。刃が床に跳ね返り不快な金属音を立てるころにはその体は塵に還っていた。結局、もともとからして死に体だったのだろう。多少の危険を覚悟の上で私を喰わねばならないほどに、滅びかけていたのだろう。そして、私の命の恩人は、名も知らぬ代行者はわき腹からぼとぼとと内臓をとり落としながら満足げに足もとから崩れ落ちた。こちらも死にかけ、いや、下手をすれば数十分前に死んでいた体を気力と神への忠誠心で、動かし続けていたのだろう。それを証明するかのようにに触れた体はすでに冷たく出血すらほとんどなかった。
 その代行者は年若い、それこそ私より少し年下になるかもしれないほどの外見をした女性だった。私たち魔術師にとって死が隣人であるように彼女らにとってもそれはさほど忌避すべき存在ではなく、むしろ引き換えに異端者を葬れたのであれば本望であろうことは彼女の表情からも容易に読み取れることができた。
 それでも私は自らの血と泥に汚れた顔をハンカチで丹念にぬぐい、服を整え、胸の上で手のひらを合わさせる。
 そのまま膝をつき宙に十字を切り手を組み合わせる。本来なら聖句を唱えるべきところであろうし、それ以前に最高純度の信徒である代行者が私みたいな不真面目を通り越した異端のクリスチャンなんかに祈られたくもないだろうが、彼女に対する礼の仕方としてこれ以外のことは思いつかなかった。
「―――Amen」

Interlude
 in

 教会からの坂を下り終え街中に入ったところで瓦頼子は自覚できる程に動揺している自分に代わって運転している秋津におずおずと話しかけた。
「秋津さん、さっきの女の人なんですけど……」
「あのね、頼ちゃん。もしこれからこの街でなんかわけのわからない事件が起きたら坂の上のお化け屋敷に行くんだよ」
「いえ、ですからさっきの」
「僕たちは日本の法律におさまる範囲がお仕事。だからああいうのは専門業者にまかせてればいいんだよ」
 明らかに言葉足らずな秋津の説明にもなっていない説明に頼子は納得いかないままで、自分の疑問を放りだし先ほどまで見知らぬ女性を乗せていた後部座席にバックミラー越しに視線をなげ、その女性のことを思い出し始めた。

 先ほどの揺れの震源と思しき郊外の森まで車を走らせ、消防の仕事だよとむずがる秋津を引きずって森の中に入っていった。入口ではせいぜいアスファルトに亀裂が入っている程度のものだったが、明らかに自然に倒れたものではない倒木をたどって分け入って数十分も歩いた頃唐突に開けた場所に出た。そこがどうやら震源のようだったのだが、頼子の知識でこのように局所的被害を及ぼすような手段を思いつくことができなかった。パイルドライバーのような重機を使えば可能かもしれないが、無論そんなものが使用された形跡も搬入搬出された形跡も残ってはいない。
 ある一点を起点として放射状に亀裂が縦横無尽に走り、ある場所は陥没しある場所は隆起し、百年近くかけて地下深く根を張っていたであろう樹木は文字通り根こそぎなぎ倒され一様に外側を向いて倒れていた。明らかに人間単体では無理な外部からの衝撃による破壊行為の痕跡、それでいて人間単体以外の痕跡が見つけられない現状。あまりに自分の理解の枠外、常識の欄外にある光景に頼子は意識しないうちに鼻声になりながら、比較的落ち着いた様子で見分している秋津に向かって声をかけた。
「秋津さーん……なんなんですか、これぇ……ツングースカですかぁ……」
「ツングー?何を言っているんだい―――おや、これはすごい。頼ちゃんちょっとちょっと」
「なんですかぁ……謎の金属片でもありましたかぁ……」
 足元を取られないように遠回りに秋津の元まで歩く。なんだか目をきらきらとさせた感じの秋津の視線の先には
「ひぃぃ……っ!なんで人の手だけが生木にささってるんですか……」
「この手の持ち主はそれだけの勢いで吹き飛ばされたってことだろうね―――ううん、伝記モノ染みた事件だね。どこかに吸血鬼とかいないかな」
「SFは好きですけどオカルトは嫌いです、怖いです」
「可愛いところあるね」
「……きゃー、秋津さーん」
 そのまま秋津に抱きつこうとした頼子は、ひたりと動きを止め耳を澄ます。秋津も頼子に習うように押し黙り、しばらく木々のざわめき以外の音が周囲から消える。
 その中で頼子は確かに人のうめき声を聞いた。自分の聴覚を信じて先ほど通り過ぎた隆起地帯のある個所に向かい谷間になったその奥を目を凝らして覗き込む。すると岩と岩の間に挟み込まれるようにして身動きを取れないでいる血だるまの人影が確かにみつけた。谷間からはおよそ二メートル弱。人影もそう大柄には見えないものの160pをわずかに上回る程度の頼子ではとても持ち上がることはできない。
「秋津さん……っ」
 頼子の叫びに秋津は何とかその隙間に身体を滑り込ませX字型に狭くなる谷間に足を踏ん張り人影の胴に腕をまわし引っ張り上げるために力を込める。幸いにもするりと身体を持ち上げることは出来たがその際にぐじゅりと軟体動物を触った時のような感触が秋津に伝わった。タイトに体を縛り付け、この状況でもかぎ裂きを作る程度で原型をとどめているその衣装はそれなり以上の防御力を持っているようだったがその下では明らかに皮膚を破り内臓も漏れ出しているほどの傷を負っていた。防御されている箇所でそうなのだからそれ以外の部位の被害はさらにひどかった。そんな悲惨な状況で何事かをつぶやき続ける人影は奇妙な眼隠しで顔の大部分は隠れているが体つきから女性、それも上で待つ頼子とそう変わらない年頃であることが察せられた。
「――――……――――……―――」
 彼女の口が秋津の耳元に来た時、初めてその女性のうめき声の正体がわかった。
 それは、祈りだった。
「……elthetô hê basilēâ sû:……genêthêtô to thelêma sû…………hôs en ûranôi kai epi gês:…………ton arton hêmôn ton epiûsion dos hêmîn sêmeron:……kai aphes hêmîn ta ophēlêmata hêmôn…………hôs kai hêmēs aphêkamen tois ophēletais hêmôn:…………」
 一節ごとに荒く呼吸を整えるもののそれぞれの節は一息に、途絶えさせることがあってはならぬと、それこそは自分の命よりも一大事なのだと彼女は唱え続けていた。最初は何の事だか、どこの言葉なのかも分らなかった秋津だったが最後の言葉だけは理解することは出来た。
「hoti sû estin hê basilēâ kai hê dynamis kai hê doxa ēs tûs aiônas. ………amên..」
―――アーメン
 世界一有名な祈りの言葉を言い終えると女性は少し息をついてから再び頭から己が信奉する主への祈りを繰り返し始める。
 秋津はそのままの体勢で谷間を上り女性ともども地上に戻る。明るいところでみて改めて彼女の惨状を認識した頼子はひぃという短い悲鳴を上げこそしたが、震える手で携帯電話を取り出し救急に連絡しようとした。しかし秋津がその手を握りしめ首を振る。
「あ、秋津さん……救急車よばないと……」
「何したってあと数時間の命だよ。君、日本語わかる?」
 秋津の問いかけに女性は十字架の刺繍が施された眼隠し越しに声のした方を向き、それから何か言おうとするが口をぱくぱくとするだけで秋津に届くほどの声量は出ないようだったので秋津の方から耳を口元に近付けた。それでも大層難儀したが「……temple……」とか細い声を聞き取ることができた。秋津は「よし」とうなずくとできるだけ丁寧に女性を担ぎあげ、森の出口に向かって自分たちが歩いてきた道を逆向きに歩きだした。
 秋津は女性に過度な衝撃を与えないように慎重に、しかしできる限り素早く歩き続ける。
「あ、あの……!」
 頼子はそんな秋津に並ぶが何か言うこともできずにただ秋津に習うように歩くばかりだった。

「秋津さぁん―――背中すごいことになってますよ……」
「なに、新調しようと思ってたボロだ。構わないよ」
「ていうかぁ、本当にいいんですか」
「彼女だってひとりきりでここに来たわけじゃないだろうから、細かいことはそっちに任せようよ」
「……NASAとかCIAとかMIBとかくるんですか」
「残念ながら、頼ちゃん好みの組織に所属してはいないだろうね」
 うう、と唸って頼子はハンドルに顎を載せる。
「秋津さんは、慣れてるんですか」
「現場が長いとね、そういうものがいるってことをすんなり受け入れるしかないってこともあるんだよ―――頼ちゃんは大火災のちょっと前に起こった怪獣騒ぎは覚えてるかな」
「ですから、私そのころはこの街にいませんでした」
「そうだったね、まあ、それだけではないけれどこの街はオカルトに関しては寛容なんだよ」
 まあ、とにかくと、秋津は続ける。
「一度関わると二度三度と不可思議が寄ってくるからね」
「ひぃいいい……秋津さん、助けて下さい」
「だから困った時はお化け屋敷に行くんだよ」
「ゴーストスイーパーでもいるっていうんですか……」
「どうだろねぇ……実際俺も先輩からそう聞いただけで行ったことはないし」
「む、無責任です」
「やれることだけやってればいいんだよ、一般人は」
「うう……」

Interlude out

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