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「はーるばる来たぞっと」

 一人だけ機嫌の良い医者を尻目に僕と衛宮の口数はどんどん少なくなっていく。衛宮が僕の元に現れてから半年、ついにとうとう、僕は、僕等は冬木市に到着した。到着してしまった、と言ってもいい。六年ぶりだというのに相も変わらず在り続ける、海や山や街並みに医者にも衛宮にも聞こえないようにこっそりとため息を漏らす。晴れやかな気分になれるとも思っていなかったがこの街に近づくにつれ、あの頃に、あの戦争のころに体も心も戻って行くような感覚が頭のなかでざわ……ざわ……と癇に障る音を立てて繁殖し続けていく。快晴であればまだしも気を紛らせられるのだろうが、生憎の曇天。視線を降ろしても海面も空を映した灰色なわけで、上を見ても下を見ても気が滅入ることこの上ない。そして何よりも憂鬱であるのは桜と顔を合わせることがほぼ決定しているという事だ。一体、どの面下げて会えというのか。戦争後は多少改善されたとはいえ、被害者と加害者という構図には変わりなく、例え気兼ねなく笑える様になったところで衛宮と遠坂がロンドンに立ってから間をおかずに家を出た身ではやはり恨まれているに違いない。

 美綴弟が犬の如く懐いていたはずだが、眼中に無い様子だったし。あの頃から変わっていないなら、確実に、恨まれている。考えれば考えるほど気が滅入ってくるのでしかたなくいままで見て見ぬふりをしてきた事案に突っ込みを入れることにした。すなわち、僕や衛宮を差し置いて助手席に鎮座ましましている彼女についてだ。

「で、なんで千津留さんがいるんだ」

「間桐よ、せっかくの旅行に恋人を連れてきて何が悪い」

「……立派だよ、実際」

「むむ、志保よ。何とか言ってくれ」

「慎二、人の趣味にとやかく言うのは、その、よくない」

「衛宮、正直にいいなよ。気持ち悪いだろ。こんな奴が毎月お前の検診してるんだぞ」

「志保。君はどちらの肩を持つね」

「ええと、ごめん。やっぱ慎二の方を擁護する」

「孤立無援!でも千津留さんがいるからオレは世界中に後ろ指さされてもいいのさ」

医者が愉快そうに叫びながら笑う最中も、千津留さんはいつも通りにやわらかく笑いながら視線を前に向けていた。ホテルにチェックインする前に昼食を取ろうという事で手近なファミリーレストランに入り注文を済ませた所で医者がさて、と僕の方に視線を向ける。

「なんでここをえらんだか、いい加減に教えてくれよ」

「言いたくないから言わないって選択肢はないのか」

 何をいうのか、といっそ芝居じみた程に大げさに肩をすくめる。

「それはオレが気に入った奴だけだ。間桐の事は嫌いだからな」

「ありがとう、僕もお前の事は嫌いだよ」

「お互いの意思が再確認できたところで、ほら」

「息抜きと里帰りさ」

 やれやれといった感じで医者は煙草をふかし椅子をきしませながら体をそらす。しばらくはそのまま黙っていたが、視線を衛宮に移しかえ同じことを問いかける。衛宮はちょっと間をおいてから、

「この街に、会いたい人がいるんだ」

「なる、ほど?記憶の方はすっかり戻った、というかもうふりをする必要もないのか」

「気付いてたのか、先生」

「嘘吐きには慣れているからな。正直いい気分じゃないが言いたくないならそれもよし。お前患者、オレお医者先生。で、そいつには志保だけで会いに行くのか、それとも間桐と二人で?」

「慎二と行く。だから悪いけど……」

「ああ、千津留さんとデートでもしてくるわ。なんかお勧めのスポットってないか」

「……わくわくザブーンっていう屋内プールとかかね」

「残念ながら千津留さんは水気がお嫌いなのだ」

「公園にでも行って鳩に餌やってろ」

「そうだな、のんびり過ごすか。それと新しい服も買ってやりたい。いい店ないか」

「適当に探せよ。五年以上前だぞ、僕がここを出たのは」

 役立たずめ、と言いながら医者がちょうどやってきたオムライスに手をつけた。その安っぽいケチャップの香りにまたぞろ嫌な思い出が蘇って尚一層に気分が落ち込んでいく。この分だと桜に合う前に底値を叩き出しそうだ。

 食事を終えチェックインを済ませる段になって医者がそう言えばという感じで言った。

「志保はともかく、間桐は何で実家に泊まらないんだ。売り払ったって言う訳でもないんだろ。爺さんだか妹だかがいるとか言ってなかったか」

「そこはお前、わかるだろ」

「んー、要介護老人を押し付けた引け目か」

「あれは妖怪御老人だ。いいからお前はデートを楽しんで来い」

 カカカと耳障りな笑い声をあげながら荷物を部屋に放り込むとウキウキという擬音が本当に聞こえそうなほど浮つきながら千津留さんと二人でさっさと走り去ってしまった。うかれてるなぁ、と衛宮と苦笑いしながらそれを見送ってから深山町まで行くためにバス停を目指してホテルを後にした。途中誰に会うつもりかと聞いてみたら少し俯いてから、藤村の名を挙げた。

 バス停につき誰もいないベンチに腰かける。次のバスまで約十分といったところだった。喉が渇いたので何かジュースでも買おうかと腰を浮かせ掛けた所で衛宮が言った。

「慎二、桜と最後に話したのは何時だ」

 自販機に小銭を放り込みながら、ここを出てからは一度も、と言う。

「なんで、お前はこの街を出たんだ」

 ボタンを押しながら、離れたかったのさ、と言う。

「なんで、桜を一人にしたんだ」

 ガラゴロと音を立てて出てきた缶を拾い上げながら、

「お前を待つと、桜が言った」

それに付き合う義理は無かったと、言ったところでバスが来た。

平日の昼間という事で流石に殆ど人は乗っていなかったのだが、その僅かばかりの乗客の中に桜とは別の意味で会いたくない奴の姿があった。学生時代とは打って変わった落ち着いた色合いのカーディガンとロングスカートに身を包み、髪形もサイドで括らずにすとんとストレートに落としている。こちらに気づいたらしく、一瞬覗かせた嫌そうな顔をさっと隠して背筋も凍りつく猫なで声で遠坂は言った。

「久し振りね。間桐君」

 久しぶりと返しながら予想外の邂逅に狼狽しているかと後ろの衛宮を窺えば、意外やむしろ屹然として遠坂を見つめていた。そんな衛宮を見てどう思ったのか、不思議そうにしていた遠坂だったがすぐに真剣な表情になり、次に座席からずり落ちそうなほど脱力する。

「ウソォ……ホント?」

「ホント」

 とりあえず、衛宮を遠坂に返して一人さびしく座席に座る。隣ではバカとかゴメンとか遠坂が罵倒して衛宮が謝るというループがしばらく続けられていたがほどなくそんな声も聞こえなくなった。こっそりと視線をやってみれば二人は実に幸せそうに抱き合っている。衛宮が何時から遠坂と連絡していないかは聞いていないが遠坂の反応を見ると性転換してからのようだから、とにかく随分と久しぶりなのだろう。その空気に耐えられず視線を外に移した。恋愛とは一時の幻影で、必ず亡びさめるものだと言ったのはだれだったかは忘れたが、あの二人に関してはそれもあてはまりそうにない。恋の障害として性差とはもっとも困難な物の一つだろうが、この場合はどうなるだろう。体はレズで心はノーマル。奇妙な恋愛の形態もあったものだ。

 そうこうするうちにバスは深山町に入り遠坂ともども降車する。仲睦まじく手を絡め合っている遠坂と衛宮から少しばかり距離をとりながら坂を登り始める。

「しかし、よく衛宮だって気付いたな。愛か?」

「愛よ―――と言いたいところだけどね。士郎と繋がっている筈のラインがなぜかこの子と繋がっていたのよ。俄かには信じられないけど、ラインがいきなり他人に移るわけもないし」

「それを言うなら、今の状況も同じ位あり得ないことだろうよ」

「そりゃあ、そうだけどね。それにしても一応無事なのになんで連絡の一つもくれなかったのかしらねぇ、衛宮君……?」

「いや、流石に会うに会えないだろ、こんな恰好じゃ」

「士郎がそんな厄介な状況自分で解決できるわけないんだから素直に頼りなさいよ。ま、ほら、恋人なんだからさ。そういう時に頼られないのは結構寂しいものよ」

「ごめんなさい」

「よろしい。しかし裏も表も無しにこの半年探しても見つからないわけよね。そもそも探す対象が間違ってた訳なんだから。いい?今度勝手にどっか行ったら許さないわよ」

「もうどこにも行かないよ、遠坂」

「……おい衛宮」

「なんだ、慎二」

 がつんと、一発拳を見舞う。衛宮が頭をさすりさすり足を蹴り返してくるついでに遠坂の拳が的確にレバーを抉る。連携バッチリ。

「何すんだよ」

「今更だが、衛宮なんかが遠坂を落としたことに憤りを感じた」

「本当に今更ね。何年前のこと言っているんだか」

「はん。それはともかく遠坂、カラーリングが随分と大人しくなったな。髪型も」

「あれは、まあ、十代限定よ。二十代も半ばになったら着てられないわ」

「確かに。それで、なんでまたこっちにいるんだ。もう時計塔は卒業したのか」

「少し用がね」

 いつも我に正義ありといった感じの遠坂にしては珍しく言いにくそうなそぶりを見せる。見れば衛宮の方も似たような顔をしている。どうやら事は魔術絡みらしいがその態度に、いささかむっとする。まったくもって余計な気遣いだ。

「またぞろ聖杯戦争でも起きるのか。六十年どころか十年も経っちゃいないじゃないか」

「聖杯戦争は、もう起きないわよ」

 遠坂がその台詞を言い終えるのと、懐かしき我が家の跡に着いたのはほぼ同時だった。しかし目の前の鎖で閉ざされた門の中には何もない、かつて確かに存在していたはずの屋敷は全てが焼けおち僅かに記憶と合致するのはその半身を焼かれた桜の木だけである。昨日今日どころではないその焼け跡をしばらく呆然と眺め、遠坂の台詞を反芻し、その二つが指し示す事柄を考え、遠坂に問いかけた

「お前が殺したのか」

「ええ、セカンドオーナーとしての権限と責任の下に」

 衛宮達と別れ一人ホテルのロビーでぼうっと過ごす。日が大分傾いたところで用意の良い事に車椅子に乗せられた千津留さんを連れて医者がやってきた。医者はきょろきょろあたりを見回し僕が一人でいることを認めると首を傾げて言った。

「志保はどうしたんだ。土産を買ってきたのに」

「飼い主に返してきた」

 憮然とした僕の様子がよほど面白かったのか医者は大声で笑い声をあげた。

「はっはー。長いようで短い蜜月だったな、間桐」

「元の鞘に収まっただけだ。で、土産ってのはなんだい。僕の分も当然あるんだろ」

「フルールとかいう店のベリーパイなんだが、やたら赤い。知ってるか」

「うわ……ベリーベリーベリーかよ。お前一人で処理しろよ」

「そんなにヒドイのか」

「不味くはないけど正直見た目で引く」

 やれやれと医者は肩をすくめ、少しばかり乱れた千鶴さんの髪の毛を手櫛で軽くなおし始めた。そんなはずはないのだが、千津留さんの頬笑みがいつもより楽しげに見えたのは、東京に戻った時少しばかり広くなる部屋を想像してしまったからだろうか。

「―――はん」

 らしくもない感傷を鼻で笑い飛ばす。馬鹿馬鹿しい。それこそ今更だ。むしろ今までが異常事態だっただけで衛宮が元の場所に戻ったようにこちらも戻るだけの話、結局はそれだけのことである。

 そんな僕を見ながら医者が言った。

「この街はいい街だな」

 いきなり何を言うのかと面喰うが、その言葉をかみしめて返す。

「いい街さ。小さくて優しくて騒がしくて―――本当に可愛い街だ」

「だけど、間桐はこの街が嫌いなんだよな。無条件に幸せな空気が嫌い、だったか」

「……そうさ。僕はここと似た街には住みたいがこの街自体には絶対に住みつきたくない」

クツクツと医者が肩を震わせていう。

「今更だけどお前の可愛さに気付いたよ」

「止めてくれ、気持ち悪い」

「しかしな、間桐。お前勘違いしてるんじゃないのか」

「なにがだい」

「この街の活気は空元気だろ。底の方では疲れ切っている」

「何に対して」

「得体のしれない曖昧な不安ってやつだ。二十年近く前になるか。ここいら辺で酷い火事があっただろ。何百人と死んだあれだ。同時期に爆弾騒ぎや児童連続誘拐事件、笑える所じゃ怪獣騒ぎもあったな。それから十年くらいして不自然過ぎる連続ガス漏れ事件、一家惨殺事件、集団昏倒事件。いまだって妙な失踪事件が起こっているらしいじゃないか」

 よく知っているものだと思ったが、その程度ならニュースでも流れるだろうと思いなおして言った。

「別に、重なった事は不幸だけどここに限った話じゃないだろう。探せば何処にでもある事件ばかりだ。怪獣はともかく」

 すくなくともその内の一つを引き起こした僕が言う事でもないが。それに対してかもな、と医者がおどけてなお、しかしと続ける。

「だけど二十年は長いようで短いし十年はもっとだ。ふっと息をついて拍子に思い出すんじゃないか。それから、もしも、と思う。もしも、また、今度こそ―――ってな」

「今度こそ、なんだ」

「どうしようもなくなるんじゃないか」

いかにも自信たっぷりと言った様のその言葉に思わず笑いが漏れる。さも真理を得たかのような顔つきで随分的外れな事を云うものだ。

「お前はこの街のタフさを知らない。今日来たばっかりの余所者が吹くんじゃあないよ」

「間桐だって今は余所者だろうに」

「だからだ。この街はね、例え血と膿と悪性の疫に溺れうめきに塗れようともどうにかする」

「言うねぇ」

「言うさ。土地柄とでも言えば良いのかね。お前が言う程度の事は250年来の恒例行事なんだよ。底の方で疲れ切っている?ばかばかしい!この街は何があっても終わらない」

 そうだとも。この街がそうであるし、この街に育まれた誰一人、終わらない。そしてこの身体には五百年間諦めなかった男の血が流れている。その結末がどうであれ、そのために何を得て何を失ったかがどうであれ、彼の人は探求を続けたのだ。他の二家の様に子孫に託すのではなくただ一人その身をひたすらに延命し続け死に続けながらも諦めなかったのだ。

無論、そのためにしてきたことは非でありその身には一片の輝きすらも残ってはいなかった。だがそれでも、諦めなかった。ただその一点において僕はあの人を上回る者をまだ知らない。

だから御爺様が死んだのならここから創めるのも良いかもしれない。その諦めの悪さを受け継いでこの僕が始祖となりをマキリの再興を、間桐の新興を目指しても、いいのかもしれない。

 ベリーベリーベリーの箱に手を入れ切り分けられていたパイを一つ手に取り、かじりつく。あのころと変わらないその味に少しばかり、安堵した。

「ふん―――相変わらずの甘さだね」

 何を言っているんだと、医者と千津留さんが不思議そうにこちらを見ていた。

翌日、軽く朝食を済ませてからホテルを出て再び間桐邸跡地を訪れ、遠坂から渡された鍵で大時代めいた南京錠を開錠し懐かしき我が家跡に踏み込む。未だ放置された瓦礫はところどころを煤で汚し草も生えるままにされている。どのように手管を凝らしたのか、遠坂名義に書き換えられているというこの数百平方メートルの土地を記憶に従い、門から玄関、バルコニー、食堂へと向かい、比較的きれいな瓦礫に腰を下ろす。僕の部屋、桜の部屋、父の書斎があった辺りを順繰りに見渡しながら昨日の遠坂の話を思い出す。

 事の起こりは半年前、十年前、二十年前、あるいは二百年前か、とにかく僕が上京し、遠坂と衛宮がロンドンに渡ってから数年後、遠坂が在学中の代理人として派遣していた魔術師が失踪し、その後に一人、あわせて二人の魔術師が姿を消した処で衛宮と連れだって日本に舞い戻って来たのだという。一人目はともかく二人目は斥候のつもりで後見人の威光を使用してそれなりの人物を送ったらしいが碌な情報も来ないまま消息を絶ってしまったこともあり用心して帰国してみれば、その晩に襲いかかってきた御爺様を下手人と断じて返り討ちにして落着とした、らしい。但し間桐邸の火災に関しては一切関与していないとのこと。

 どこまでが本当でどこからが嘘で、何を喋って何を黙っているかは知らないが、少なくとも今、眼の前に在る残骸が間桐の二百年の成果で、同時に御爺様の終着点であることに変わりはない。今は亡きそれらに選民思想の根底をおいていたあの頃の僕がこれを見れば発狂していたかも知れない。とはいえ覚悟は既に完了しているのだから、一から始めるという意味ではむしろ都合がいい。

「まぁ、でも遺産位は貰っておこう」

「残念。兄さんには何もあげません」

 後ろから掛けられた声に振り向けば、久方ぶりに見る妹が記憶通りの恰好でそこにいた。別にゴーストでもなければゾンビでもない。火事があったその当日、たまたまよそにいた桜は難を逃れ今は遠坂邸の居候となっているのだと聞いている。実際にどういうやり取りがあったのかは分からないが、爺がいなくなった以上間桐と遠坂の不可侵条約も守る必要がなくなったということだろう。

 衛宮と桜。

 遠坂にしてみれば今の状況は両手に花といったところか。

「何いってんだよ、桜。この家の物は僕の物だぞ。つーか爺が死んだなら連絡しろよ」

「だって兄さん、連絡先教えてくれなかったじゃないですか」

「捜せよ、妹なんだから。それ位しろよ。どうせ日がな一日屋敷でうだうだと管巻いてたんだろ」

「ヤですよ、面倒くさい。自分の不手際を棚に上げないでください」

「ふん。まあいい。こうして帰って来たんだから問題ないだろ。よこせ」

「だから、もう何もありません。御爺様の遺産は魔術的な物もそうでない物も全部遠坂先輩にあげちゃいました。働かなくても生活できる程度には私名義の物もありますが、兄さんの分は塵一つありません」

「お前は最悪の妹だな!義妹になって出直してこい!」

「貴方は最悪の兄さんです!――――死ねばいいのに」

「洒落の欠片もない奴め。しかし元気だな、鬱陶しい」

「御蔭さまで。それではあらためて、お帰りなさい、兄さん」

「―――ふん」

桜について跡地を後にする前に振り返り、あの頃を思い出すうちに不意に頭の中である文句が響きだす。それは、もしかすると僕が六年越しに覚えたホームシックによるものかもしれなかった。

―――何者が、そして、何故に

「はい?何か言いましたか」

「遠坂と衛宮は何処に行っているんだ、と聞いたんだよ」

「瘤を治療しているそうです」

「瘤?」

「はい。瘤です」

 桜は繰り返して言ってから壁にかかっていた冬木市の地図に目をやる。

 場所を移して、遠坂邸の居間。相変わらず神経が太いんだか細いんだか、インスタントのしかもセール品だとわざわざ言って出してきたコーヒーに口をつけながら僕も地図に視線を向ける。丸印が数か所、そのうちいくつかはチェックが入れられている。

「円蔵山の地下にある大聖杯については聞いていますか」

「時計塔からわざわざロードを引っ張り出して解体したらしいね。遠坂達も露払いに使われた感じがするからお互い様って感じだが。しかしよくアインツベルンを説得できたもんだ」

「一月ほどここに逗留していたんですけど、どうにも気難しい人でした。眉間に、こう、彫ったような皺があって日本人嫌いで。でもどこかに消えたと思ったらモダン焼き買って帰ってきたりして妙に冬木に馴染んでました。聞いてみたら学生の頃しばらくここに住んでいたことがあるんだそうです」

「―――ああ、聖杯戦争がらみかね」

「はっきりとは言いませんでしたけれど、多分。とにかく、その時に大聖杯に魔力を送る地脈にいくつか瘤があるのに気づいたらしいです。時限爆弾みたいなもので後十年ほどで決壊していたそうで。さすがにいつまでも日本にいるわけにはいかなくて姉さんに後のことを任せて先に帰国しましたけれど」

「ふぅん、しかし遠坂がね。あいつのことだから一つぐらい破裂させるんじゃないか」

「大丈夫でしょう。先輩もいますし」

「それはちっとも安心できる要素じゃないと思うが。しかし、桜、お前はアイツが本当に衛宮だと思っているのか」

「違うんですか?ラインは繋がっていると聞いていますが」

「意外だね。もっと取り乱すかと思ったが、そんな悠然としたのはお前のキャラじゃないよ。お前はもっとこう、暗くてエグくてテンパリやすいくせに図々しい。そういうキャラだろ」

「自分の妹をどう見てるんですか、もう。私はそこまで余裕のない人間じゃありません」

 ふくれっつらでそういう桜を見て自分の推理があさっての方向に言っていたことを実感する。しばらく見ない間に随分と図太くなったらしい。考えてみれば桜はあの遠坂の妹なわけなのだからそもそもの素質は十分だということか。しかしそうなると、衛宮がわざわざ東京まで来た理由が分からなくなるな。てっきり桜が原因かと思っていたのだが、確かに考えてみれば、あのバカが桜に拒絶されたり女になったりレイプされた程度で理想を放ってよこすというのも妙といえば妙な話だ。そんなことを考えている僕にふと桜が何かに気付いたような表情で覗きこむようにしていった。

「兄さんはもしかして、あの人が先輩ではないと考えているんですか」

「正直に言えば、どっちでもいい。本人がそう主張するならそれに乗せられるのも構わない。その程度さ」

「酷い人です」

「今更だ。お前はどうなんだよ。ああいう衛宮を見て可哀そうだとか気持ち悪いとか思わないわけ?」

「そりゃあびっくりはしましたけど、本人がまったく気にしていないんですから。周りばっかり騒ぐのも変な話でしょう。それに、どうなっても先輩は先輩です」

「たとえ、遠坂の恋人になってもか?」

「秘する恋、というのも素敵でしょう?」

「古いねぇ、お前本当に僕の妹か。そもそも秘してないだろ、めちゃくちゃあからさまじゃん―――一つアドバイスをやろうか」

「なんでしょう」

「衛宮とは何か一つ、適当な約束を取り付けておきな。あいつは一生それを遵守するタイプのバカだ」

「はい、考えておきます。時間はありますから」

「これからどちらに?」

「予定はないが、遠坂達でもからかいってこようかね。おっと、そうだ。おい、桜」

「なんでしょう」

「結局火事の原因はなんだ」

―――何者が、そして、何故に

「放火ですよ、放火。犯人はまだ捕まってません」

 そうかと言って、桜の返事に落胆している自分に驚く。何に落胆しているのか、自分でもよく分らない。そもそも、爺が死にさらに家が消えたことを知った時に僕は果たしてどういう感情を持ったのだろうか。二十年来の呪いからの解放による浮き立つような浮遊感であった気もしたし、底なしの穴に落ちていくような不確かな浮遊感であった気もした。一から始めるという覚悟はそれらの事柄からの逃亡ではないのか、という考えさえ湧いてくる。まずはこれに決着をつけなければ、一歩目すら踏み出せない。

「予定が出来た。ちょっと付き合え」

 そう言って腕をつかみぐいぐいと力を込めて引っ張ると桜の体が少しばかり硬直したがすぐに抵抗をやめ素直に従ってくる。

「少しは私の意見も聞いて下さいよ、もう。それで一体何なんですか」

「僕の特技を覚えてるか」

「ええと……一人遊びですね!」

「お前は一人上手だけどな!」

「私の~♪」

「それはひとり上手だ!お前はどういう成長してるんだよ!」

「それで一体何なんですか」

「一つ、犯人探しでもしてみようと思ってね」

「警察の仕事ですよ、それは」

「まだ見つかってないんだろ?失せ物探しと名推理は僕の十八番だ」

「探偵ごっこは一人でやってくださいよぅ……」

「いいじゃん。付き合えよ、妹」

「もう、強引なのは相変わらずですね」

 不承不承の体で桜は僕と並んで歩きだす。この町を出る前と変わらず、むしろ僕の背が少し伸びた分記憶の中にあるよりも随分と小さく感じる桜を見ながらこんな風に肩を並べるのは上京して以来、どころか僕らが共に小学生の頃以来だったかと思う。

 今の僕からすればあの頃の僕は、無様極まりないものだった。桜に対しての態度をとっていっているのではない。子供なりにではあるものの魔術師となるために努力をおしまなかったと思ってはいるが、自身の魔術回路の不備さえよく知らなかったことが無様なのだ。爺も父も僕が聞くまで誰もそのことを教えてはくれなかった。その必要すら、その手間すら鬱陶しいものだったのかもしれない。

「よう、桜。遠坂の魔術は何か習っているのかい」

「いいえ。姉さんは基本的に私を魔術に関わらせたくはないようで。それでなくとも、時計塔に籍を置く今は私に構っている暇はないでしょう」

「どうだかね。お前が言えば喜んで教えてくれるんじゃないのか」

「一つの物を十に分ければ薄くなる。兄さんが先輩に言った言葉でしょう。―――ぷ」

「―――いい性格になったな、おい。七年も前のことをネタにするんじゃないよ」

「兄さんはその一すら持ってなかったのに、先輩の無知につけこんでよく高説を垂れたものです」

「うるさいね、昔みたいに殴られたいのかよ」

「今の兄さんは昔の兄さんほど切羽詰まってはいませんからそんなことしませんよ」

「―――ふん」

 くすくすと笑う桜。

 見透かされているようで気味の悪い反面、冬木に帰ってくるまで感じていた重荷、桜が僕を怨んでいるという確信めいた予感がどうやら外れていた事に肩透かしを食らったような気がする。あの頃のことをこういう風に話題に出来るということ自体が桜の中で既に処理されていることの証左であろう。そう考えた。

だから、確たる証拠が欲しくてそんなどうでもいいことを、聞かなくてもいいことを聞いてしまった。

「桜、僕を恨んじゃいないのかい」

「―――兄さんてば迂闊です、粗忽です、怪我一生です」

「はぁん?」

「御爺様が亡くなってこれからどうしようかなーってこの半年考えてたんですけど、今決まりました。私、これからは兄さんを怨んで生きていきます」

「後ろ向きに前向きだな。というか、お前の場合はちょっと洒落になってないからやめてくれ。どうせキャラ変えるなら遠坂から衛宮を略奪するくらいしろよ」

「え、嫌われ役は兄さんの専売特許でしょう?」

「僕は皆の人気者だ」

 えー、と心底不満げに、もしくは妄想に酔う可哀そうな者に対するように桜が声をあげる。僕の返答がどうにも納得いかないらしい。相変わらず生意気な妹である。まあ、とりあえず、墓穴を掘った模様。少々癪だがご機嫌をうかがっておかないとおちおち夜も眠れやしない。一瞬、あの看守のような鍵束が擦れ合う耳障りな音が聞こえたような気がしてぶるりと体を震わせる。高々一年の間に刷り込まれたトラウマはいまだに消えてはいないようだった。

「お互い様ですよぅ。それまでの十一年や四年を考えればまだまだです」

「僕、口に出したか?怖いなぁ、おい。江戸前屋の大判焼きおごってやるから勘弁してくれよ。あのショミンショミンした安っぽいB級甘味、好きだろ」

「思い出を汚したくないのでたい焼きでお願いします」

「はぁ?相変わらず訳わかんないね、お前」

 秘密です、とそっぽをむく妹。大方衛宮とでも買い食いしたことがあるのだろう。どうせこいつが思い出を呼ぶほど思い入れのあることは衛宮か遠坂関連のことしかない。基本的に興味のない人間には薄情なのだ。そこに関しては僕がとやかく言える立場でもないが。

 そんなわけでたい焼きを頬張る桜を引き連れて新都へ向かうべく、バス停を目指す。

「どこまで行くんですか、家通り過ぎちゃいましたよ」

「図書館だよ、冬木市営中央図書館」

「はぁ、図書館……。何しに行くんですか」

「はん。自分で考えないと頭が腐るぞ、桜助手」

「むむ、わかりました。火事があった頃の新聞を見に行くんですね、慎二探偵」

「今更焼け跡調べても郷愁以外は見つかりそうにないのは今朝よくわかったからね。差し当たり只の放火か怨恨かの区別だけでもつけておきたい。一応聞いておくが、家が焼けたあとに放火は続いたかい―――あと、こっちから言い出したけど探偵ってやめてくれ。恥ずかしい」

「さあ。火事は何件かありましたけど放火か失火かまでは。―――あと、いいじゃないですか慎二探偵、かっこいいじゃないですか慎二探偵。言ってる私も恥ずかしいです慎二探偵」

「じゃあやめろよ」

「いえ、せっかく兄さんが地味に嫌がっているのに我が身かわいさにやめるわけには」

「よし、犯人はお前だ。―――ハマり過ぎて嫌だ」

 一枚絵があっという間に頭の中で描き上げられる。

 燃える間桐邸。

 佇む桜。

 うっすらとした笑みを張り付けた顔。

「怖ぁ……」

「推理小説だと疑わしい人物はまず犯人ではないのがセオリーですよね」

「普通に考えればお前は第一容疑者だけどな。動機十分」

「兄さんこそ遺産目当てで動機は十二分です」

「だったら大失敗じゃん。お前なんかにかすめ取られるようなヘマするもんかよ」

「兄さんは失敗するから兄さんなのです。成功した兄さんなんて想像できません」

「ライダー曰く、成功した僕とはペルセウスだそうだ」

「ああ、つまり借りものをうまく使えるか使えないかという違いですね」

「ああ、つまり僕は英雄の器だということだ」

 あはは、と桜が台詞を読む様に笑う。

 だらだらと続ける無駄話もそれなりに楽しかったが潮時のようだ。

 それに対して未練を感じたのは、恥じ入るほどの不覚だった。

 察するに冬木に戻る最中に感じた六年前に引き戻されるような感覚は結局僕の気のせいだったわけだ。もし僅かでも引き戻されているのだとしたらこんな風に未練を感じるわけがないし、こんな風に、あの時以前のように、桜となんでもない話をするなんてできるわけがない。

 六年前の僕なら、例えどうなってもこんな状況を望まなかっただろう。

 留年ぎりぎりまで入院していた時の僕でさえ、こんな関係は願い下げだったろう。

 そして今のこの僕は―――――

胸の内に目を向け耳を向け、改めて六年という期間の長さを思い知った。

まさしく、反吐が出る思いだ。

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