「これは俺の勘だが」

 私を抱えて電線の上を疾走しながらランサーがそう前置きをしてから、アドバイスのようなものを口にする。

「ギルガメッシュのマスターは眼を見ず話を聞かず早々にぶっ殺す方がお前らの為であると、思う」

「勘、ねえ」

「ああ、勘だ」

「本当に?」

「掛け値なしに」

 事ここに及んでも尚、からかわれているのではなかろうか。

 事前の打ち合わせによりサーヴァント同士、マスター同士での戦闘を行うという方針ですでに決定している。前提として相手側が先んじて個別に行動しているという事をアテにしてはいるが、それに関しては以前の邂逅の際に垣間見えたギルガメッシュの気勢から考えるにそれはあながち外れた予想ではないと思えた。

 どちらにしてもサーヴァント戦に関しては私たちは足手まといにしかなるまい。

 マスター戦でも不利は変わりないが、そこは遠坂の援護を頼るしかない。非常に腹立たしい事実であるが、遠坂の魔術師としての実力は疑うべくもない。

前衛を衛宮に任せ後衛を私の和弓、遠坂の宝石魔術という構成になる。

 今夜以前であるのなら例えどのような状況であっても私には決して持ち得ない力を持つ遠坂を、私自身の腐れ故に払いのけたであろうが今は、その腐れは衛宮が消してくれた。いや、今も確かにそれは身の内に潜んでいるが少なくとも衛宮と共に居る限りはあの清廉な衛宮邸の中にいるような気にしてくれる。

 やがて柳洞寺に降り立つ。

 今は門番の姿はなくひっそりと静まり返った円蔵山は、しかし奇妙なざわめきをかんじさせた。石段に足をかけたその感触にあの晩の事が頭を巡る。

 一瞬ブラックアウトしかけた意識を無理やりに手繰り寄せ一段一段を踏みしめていく。

 ルーンの加護とやらもあるのかもしれないなによりも右手に感じる衛宮の熱が頼もしい。

 できれば、この石段を登り終え事を成し再び下るときにも同じように衛宮の手を握って帰りたい。

 そして、山門をくぐり境内に足を踏み入れ、以前と同じように傲然と腕を組んでいるギルガメッシュと相対する。ギルガメッシュはセイバーにのみ語りかけるように口を開く。

「漸く、だ」

「ああ、随分と待たせた。十年越しの決着をつけよう、ギルガメッシュ」

「ああ、随分と待った。今宵こそは貴様を下すぞ、騎士王」

 そこまで言ってからようやくギルガメッシュは私たちに対して弁えずに舞台に上ってしまった見物人を追い払う舞台役者の様に短く告げる。

「去ね」

 もとよりそのつもりではあったがそれを差し引いても抗いがたい、言ってしまえば従うことに快感を覚えてしまう類の生来からの支配者の声音である。

 恐慌と恍惚が同率に沸き起こる。

ライダーを無残にも殺した相手だというのに、ランサーと違い目の前で殺すところを見ているというのにそれでも尚、従いたいと思ってしまった。そして、頭の隅でそんな事を思ってしまった自分を、どうしようもない駄物だとさげすむ自分もまた、私は確かに認識していた。ああ、私はこんなにも価値のない人間だったのか。

憎むべき相手を憎むことすらできないなんて、この上もなく、無様。

不意に衛宮が左手を掲げる。

「セイバー、第七のマスターが令呪を持って命ずる」

「衛宮―――?」

「“全力で戦って”“勝て”」

 そのシンプルな命令に令呪の二画が光り、消えた。

 なにをバカな事を。そんな曖昧な命令では令呪の無駄遣い以外の何物でもない。

 令呪を使われたセイバー自身も戸惑っている。

 罵倒しようと口を開きかけた私の腕を衛宮はぐいぐいと引っ張って柳洞寺の裏手、池の方に向かって歩き出した。

 セイバー達から十分に離れた所で

「俺はお前のものだよ、慎。俺はお前がそう望むならお前だけの味方にだってなってやる。だけど、お前自身がお前の価値を見失ったら俺まで諸共に二進も三進も行かなくなる。それは御免だ。いいか、俺はお前のものだけどな、お前は俺のものだ。言っただろう、お前が泣きやむまで世話をしてやるから覚悟しろ」

「あ、は。変なの、衛宮がそんなに執着するだなんて。らしくもない」

「いや、俺は身内には病的に執着するんだよ」

「それがさっき令呪を使った理由?」

「ん、お前がなんか泣きそうな顔してたのが、なんだかどうしようもなくムカついた」

 さて、と衛宮はひとつ肩を回して私から手を離した。

 目の前には黒い太陽。

 磔刑の様に宙に浮かぶイリヤスフィール

 その下にたたずむ言峰綺礼。

 どう転ぼうともカーテンコールももう間もなく。

 しかしこちらの舞台は私たちのもの。

 ならば、最後に笑うのは――――――

「行くぞ、最後の戦いだ」

 

Interlude in

 

 衛宮士郎、間桐慎の両名がこの場を後にし残ったのはランサー、セイバー、ギルガメッシュの三騎。

最初に戦端を開いたのはギルガメッシュだった。

 背後の空間から無数の武器がその姿を現す。

「――――ゲート・オブ・バビロン」

 号令一過。

 ギルガメッシュの合図を皮切りにありとあらゆる武器の原典が面制圧の体でもって敵を押し潰しにかかる。避けようの無い圧殺。

 だがしかし。

 確実に間隙は存在する。

 ランサー――――八つまでを払いのけ強引に発生させた空間にもぐり込み、視界に収まる射線より最も薄いところに更に強引に身体を推し進める―――――矢除けの加護――――射線と回避法の把握。

 セイバー――――なんとなく、良さそうなところに歩を進める―――――無数にある射線をなんとなく、回避する―――――直観、幸運――――準未来予知、運命改編。

 結果。

 ランサー――――右上腕、左大腿部、右六番から十一番、左八、九番肋骨、粉砕。

 セイバー――――プレートメイル、右脚絆、右甲手、右手首、大破。

 及び両名共に擦過傷打撲切創無数。

 進行距離5メートル。

 攻勢一時中断。

 ランサーが凶悪に頬を吊り上げる。

 不機嫌な猛犬。

「っか。しまらねーな。英雄王。浪費は国を滅ぼすぜ」

「抜かせ、走狗が」

 まさしく路傍の石を払いのける様。

 ランサーの口元が更に鋭角を描く。

「さて、セイバー。気は変わったか」

「戯けが」

 剣を構えなおすセイバー。風王結界はすでに無し。

 嗤うギルガメッシュ。

 寧ろ歓迎ともとれるけたたましい哄笑。

「良かろう。蹂躙されるのが雌の本懐なれば」

 攻勢、第二軍。

 

Interuled out

 

 無数に蠢く泥のような物に阻まれ私の矢は言峰には届かない。

 一応は強化済みではあるけれどそれでもあの泥の前では意味がない。

 実質衛宮が一人で言峰に向かっているのと変わらない。

 泥が体をかすめるたびに衛宮がうめき声を上げる。

 アレが何かはわからないけれど、どうしようなく嫌な物であることだけは分かる。

 場違いであることは重々承知の上で更に矢をとる。

 衛宮を助けたい。

 神様でもなんでもいい。

 遠坂でもだれでもいい。

 とにかく―――――助けろ。

 ぱちんとやたらに軽い音がして衛宮に向かって飛んでいた泥が弾ける。

 一瞬、射線上から全ての泥が消えうせた。

 今ならば―――――!

 射法八節。
 足踏み――――胴造り―――弓構え――――打ちおこし――――引き分け―――会―――離れ――――――――――――――――――――――――

Interlude in

 懐のサファイヤから魔力が霧散していくのが分かる。

 あらゆる飛び道具を一睨みで落す矢除けのルーンは中々に強力だった。流石に英雄が手ずから刻んだだけの事はあるということか。

孔から漏れる泥も全て払いのけられ射線に乗った綺礼の脳天にめがけてペンダントを振りかぶる。と、そこで。

慎の足もとに在る泥に気がついた。

その動きはゆっくりとしたもので容易に逃げられるだろう。

だというのに慎は衛宮君だけを見ている。あのままでは飲み込まれる。

だがしかし、バーサーカー戦で宝石は使い果たし残っているのはこの虎の仔のペンダトのみ。これを外せば後はない。

ここは――――――

「――――Null

 

Interlude out

 

残心。

 

Interlude in

 

 セイバーが聖剣を担ぐ。

「エクス―――――――――」

 ギルガメッシュが開闢の剣を振りかざす。

「エヌマ―――――――――」

 星が鍛えし神造兵装、最強の幻想である聖剣の頂点。

 天地開闢以前の地獄を知る死の国の原典たる乖離剣。

 共に宝具としては埒外の威力を持つ。

 だが

「――――――カリバー」

「――――――エリシュ」

 だがしかし、

 拮抗状態は一秒と持たずに崩れる。

 威力が違う。

 魔力量が違う。

 なによりも―――――セイバー自身がこれで押し勝つつもりは毛頭ない。

 一秒に満たぬ拮抗状態は、しかし充分に過ぎる隙を生んだ。

「ゲイ・ボルグ――――」

 突き穿つ死翔の槍。

 師匠にして影の国の女王スカサハより貰い受けた因果律逆転の魔槍。

 対人武器としてはこの上ない、避けることが出来ない槍。

 それが今、ギルガメッシュの心臓を貫いていた。

「―――――狗めが」

 忌々しげに、しかし決して膝をつくことなくギルガメッシュはセイバーを見据え

「ああ、やはり――――」

 ――――美しい

 この世全てを手に入れた王は、そう呟いて潔く掻き消えた。

 こうして、残りは二騎。

 お互いに満身創痍であるが

 お互いにそんな事は関係もなく、ただ最後に思い切り闘うためだけに向かい合う。

 国を担った過去も

 万人を背負った栄誉も

 数限りない伝説も

 この時ばかりは、余計な物となる

 唯の剣士と唯の槍兵として、戦争の最後を飾る決闘を演じる。

 セイバーは、それが礼儀だと最初の晩の続きを促すように同じセリフを口にした。

「槍兵、名を名乗れ」

 いざ―――――――――――――

「赤枝騎士団――――クー・フーリン」

――――――――――――――いざ

「ブリテン王――――アルトリア・ペンドラゴン」

――――――――――――――いざや、尋常に――――――――――――――――――――

 

Interlude out

 

 放たれた矢は風切り音を響かせながら衛宮に振り下ろされようとする言峰の右手に一直線に飛んでいき、貫いた。そして衛宮が言峰の胸に剣を突き立てるのとほぼ同時に私の足もとの地面が炸裂する。

 巻き上げられて地面とともにいつの間にか足もとに迫っていたらしい泥が散り散りに吹き飛ばされていた。これは、まさか、遠坂が。信じられない。その気持がまず先に立つ。衛宮ではなく私を助けるだなんて。

 濛々と立ち込める土煙を突っ切って衛宮駆けよれば、胸に剣を生やしたままの言峰が祝福するように両手を掲げ衛宮に賛辞を述べていた。

「おめでとう、衛宮士郎。これで晴れてようやく聖杯は君のものだ。何を願う、何もかもを無かった事にでもするかね」

「そんな物は望めない。俺の十年は、俺たちの十年は、彼らの十年は、無かった事になんて、出来ない」

 言峰は衛宮をまるで誰かに重ねるように見て、一言

「貴様は、つまらん」

 そう言って、どさりと崩れ落ちた。

 それを合図にしたかのように落下したイリヤスフィールを受け止めて衛宮もそのまま糸が切れたように倒れこむ。ぜいぜいと荒く息をついているが傍目には特に怪我をしているようには見えない。あの泥に何か呪いのようなものでも詰まっていたのだろうか。だけれど私にはそれがどういうものかも分らないしこの苦しみを除く術もない。

 だから私は衛宮をゆっくり抱きしめた。

 雨の中、全てを投げだした私を抱きしめてくれた衛宮の様に出来る限り優しく、抱きしめた。

「衛宮、お疲れ」

「ああ、酷く疲れた。少し寝るよ」

 衛宮はそう言って額に汗を浮かべたまますうすうとすぐに寝息を立てて眠りに落ちた。

 その腕にはイリヤスフィールが硬く護るように抱きしめられている。

 こいつはきっといつまでもこうなのだろう。

どうしたってこいつの腕は他人のためにだけ振るわれるのだろう。

まあいい。右腕くらいなら好きにさせてやる。

だけれど残った左腕は私のためだけに振るわせてやる。

私はお前に守られてやる。

そう、意志を込めて尚一層に腕に力をいれ、衛宮を抱きしめた

 

Interuled in

 

――――ごめんなさい、お父さん。凛は悪い子です。二回も形見を無駄遣いしてしまいました。次会うときは目いっぱい叱って下さい。ついでにとっておきのジョークも聞かせてあげます。

 幸せそうに衛宮君を抱きしめる慎を見ながらぼんやりとそんな事を考える。何で私はあそこで慎を助けてしまったのだろう。頭では衛宮君の援護や兄弟子に対して引導を渡すことしか考えていなかったのに。

 気がつけば投げてしまっていた。

 一瞬、目を覚ました時に慎が居ないとなんだか桜が泣きそうだなぁと、そんなあやふやな映像が流れてしまったために、うっかり流されてしまった。

 ああ、そうか。

 結局私は何よりも、桜に笑っていてほしかったのだ。

 桜が私をどう思っていようと、私よりも慎に執着していようとも、それで桜が笑えているのならそれでいいと思ってしまった。

「お姉ちゃん、だもんねぇ……」

 仕方ないなぁ。

 桜の慎に対する執着は、悪意というよりも心中に近いような物がかんじられる。

 多分に歪んでしまってはいるが、非常に口惜しい事なのだが、あの二人は既に姉妹なのだ。私などよりも、ずっと。

「悔しい、なぁ―――――」

 ああもう、らしくもない。

 こんなのは遠坂凛じゃない。

 こんなのは私じゃない。

今夜限りだ。

明日からは桜の体を治すため、ありとあらゆる文献をひっくり返し外法を学び遠坂の魔術すらおっ放り出して東西奔走しなければ。

だから、今だけは只、泣くために泣こう

Interuled out

 

 三十分ほどしてからセイバーがやってきた。

ランサーの姿は無し。

「勝ったの」

「勝ちました」

 短く会話する。

 ライダーの仇は討たれたという訳か。それが私の知らない所で終わったというのが少々悔しいが、これで本当に私の戦争は終わる。

 腕の中でもぞりと動いてから衛宮が目を覚ます。眼前のセイバーを見すえて

「最後に、もう一仕事頼めるかな。セイバー」

「ご随意に」

「聖杯を破壊しろ」

「―――了解しました」

 セイバーが穴に向かって剣を構え、真名とともに振り下ろす。

 そして振り下ろされた剣より発生した光の奔流は穴を飲み込み―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「おはようございます」

 おおよそ二ヶ月後、何時ものように見舞いに行くと桜が目を覚ましていた。

 それまで何の反応もなく昏睡状態であったのが嘘の様に、昼寝から目覚めたような気軽さで挨拶を掛けてきたので私もどうということもなく返事を返した。

「おはよう、桜」

 桜は窓の外に見える桜並木を不思議そうに眺めた後恐る恐るという感じで日付を聞いてきた。四月も中旬にかかっていると伝えるとばったりと脱力してベッドに倒れ伏し、しばらく唸った後に、

「バレンタイン……色々考えてたんですけどね」

「残念ね。衛宮は私がもらったわよ」

「……へぇ」

 私の言葉をどことなく嬉しそうに聞いた後浮かべた、遠坂を思い出させる酷薄な笑みを見ないふりをしつつ何か欲しいものはないか聞いてみると、桜の部屋から鍵付きの日記帳を持ってきてほしいと言われた。

 しばらく談笑をしていると、不意に桜の頬が紅潮し息も目に見えて荒くなってきた。ナースコールを手に取るが押し込む寸前で桜に腕を掴まれ二ヶ月間寝たきりだったとは思えない力強さで抱きすくめられる。

 視界の端に桜の後頭部を捉えた瞬間、首筋をガブリと噛みちぎられた。

「――――っ」

 思わず引きはがそうとするがびくともしない。

 桜は傷口に口をあてがい、あふれてくる鮮血をぴちゃぴちゃと舌で丹念に舐めとり一滴たりともあまさずに嚥下していく。どことなくライダーの吸血を彷彿とさせるがあの行為について回った一種の悦楽は欠片もなく痛みと、薄ぼんやりとした怒りの様な物が澱のように溜まっていくだけだった。

 その怒りも果たしてだれに対しての物なのか、それすらもはっきりとはしない。

 やがて、桜が口を離す。

 思ったよりは浅かったのか出血はすでにゆるやかになっていた。

 近くの棚からキズバンを取り出し適当に張り付ける。

 さて、当の桜はと言えば蒼い顔で口元を押さえていた。

「……気持ち悪いです、姉さん」

「うあ、くらくらする。あんた、どれだけ吸ったのよ」

 例の看護師のヨタによると血液には催吐性の物質が含まれており経口摂取は人体としての構造上無理があるらしい。ライダーがこのような事を出来たのはまさしくオカルト世界の住人だった故である。

「で、何なのよ。今のは。ライダーの真似?」

「そんなところです。……うぇ」

「今度こそは押させてもらうわよ」

「……お願いします」

 結局その後は検査に追われて碌に話すことはできなかった。

 家に戻って言われた所を探してみると確かに鍵付きの日記帳が見つかった。ただ、肝心の鍵が見つからない。しばらく探してからふと、以前この部屋で拾った鍵を差し込んでみると、かちりと軽い音を立てて鍵穴は開かれた。

 表紙に手をかけ少し迷ったが、結局読まなかった。

 恨み辛みが書かれていることは予想できるし、変に期待して痛い目を見るのは御免だ。

 翌日、病室に言ってみると桜は寝ていた。

 随分と安らかに眠っていたので枕もとに日記帳を置いてその場を後にした。

 次の日も

 その次の日も

 また次の日も

 桜は無表情に眠り続けた。

 結局、桜がその日記帳に新たに書き込むまでには再び一ヶ月の間を置くことになる。

「ウチの病院は微妙な立場でね」

 見舞いの帰りにはちあわせてしまった看護師は唐突にそんな事を言ってきた。

「確かに魔術協会の息はかかっているけれど、そういう世界があるのを知っているだけで実際に魔術的治療ができるわけじゃない。そもそも治療魔術の類はご法度であるそうだ。馬鹿馬鹿しい」

「そうなの」

「うん、だから妹さんを治すためには間桐さんが動くしかないわけだ。患者の家族に頼るほかないというのは、情けない限りだけれどね」

 苦しそうに笑ってから

「頑張りたまえよ、間桐さん。世界を救ったのだから妹さん位鼻歌でも唄いながら助けるんだ」

「そこまで大層なものでもないわよ。実際十年前だって新都だけだったじゃない」

「いやいや、もっとミクロな話だ。たとえば十年前私は高校生だったわけだけれど大火災の後休校明けに登校してみれば40人クラスのうち三人が死んでいた。とくに親しかったわけでもないけれど、あの気持ち悪さ、不快感はまだ忘れられない」

「へぇ、それがそのころのあなたの世界なわけ」

「うん、今だってこの病院とアパートまでの道程が私の世界の九割だ。いいかい、間桐さん。この世界は強靭だけれど個人の世界っていうものはびっくりするほど脆弱なんだ」

「ふぅん。そういえば、以前衛宮の事を知っている風だったけど何をどこまで知っているの」

「何も。只先輩から一人だけ草臥れたおじ様に貰われていった赤毛の少年がいたと聞いていただけさ。登場人物Aが知っているのは噂だけだよ」

 そういえば、私と会うときはいつも名札を外していたことを思い出す。

「―――名前、なんて言ったけ」

「うふふ、教えない。私は只の耳聡い一般人だからね。君らの世界に巻き込んでくれるなよ」

 ひらひらと手を振って普段のちゃらけた雰囲気に戻った看護師を一瞥してから病院を後にし、少し寄り道をしてから遠坂邸に向かう。

「吸収しようとしたんでしょ」

 私が父の書斎からちょろまかしていた物を更に強奪していった一等貴重な書物に埋もれながら遠坂は応える。錬金術の類にも言えることだが魔術書を読むということは暗号を解読するという行為に近いものがある。しかも、それが今まで習ってきたものとは全く別系統であるというのならその難解さは想像を絶するものとなろう。

 それでもこれを理解することができるというのは才能以前に桜に対する贖罪の念でも働いているのだろうか

「何とかなりそう?」

「蟲の摘出、もしくは活動の停滞、遅延といった命令の上書きが出来れば話は早いんだけど」

「摘出、というか治療魔術は一朝一夕には身につかないし、御爺様がいなければ命令系統の把握も難しい、と?」

 遠坂はふうと息を吐いて目じりをもみながら首肯する。

「加えて令呪に代表される制約も禁呪であるから、こんな物には載っていない。ああ、八方塞がりって感じね」

「紅茶でも入れましょうか」

「お願い、ついでに何か甘い物」 

 寄り道して買ってきたスコーンを並べてから紅茶を入れる。

 カロテッドクリームをたっぷりとつけたスコーンにかぶりついてから紅茶を飲み下した遠坂はふ、と笑ってから

「慎、全然上手くならないわね」

「私はコーヒー党なのよ」

 ジャムを塗りつけながら桜が再び昏睡状態に入ったことを告げると少し考えてから

「桜の神経に蟲が同化しているって言ってたわよね」

「ええ、御爺様から聞いたから間違いはないでしょう」

「すると無茶な魔力の吸収に蟲がパニックを起こして魔術的な意味でも生体としての意味でも神経機能を果たし得なくなっているのでしょうね」

「じゃあ、ふらっと起きたのはなに」

「蟲の生存には結局外部からの魔力供給が必要ではあるからその一点のためだけに無理やりに復調させたのだと思うわ。で、慎の血から必要な分を吸収し終えたから再び眠りに落ちた」

「―――治るの」

「―――治すわ」

迷いも疑念も躊躇いもなく遠坂は言い切る。

 虚勢ではないし、楽観的な希望論でもない。

遠坂ができるといった以上は例えどのような事があっても成し遂げるに決まっている。

それでこその遠坂凛なのだ。それでこそ、桜の姉だ。

 ふん。

「私、お前のそういう所大嫌い」

「私、あなたのそういう率直なところは案外気に入ってるわよ」

「ふん」

 そうして衛宮の所に帰る。

「ただいま」

 間桐邸ではついぞ発したことの無かった言葉がするりとすべり出てくる。

 その言葉にもここでは確実に返事が返ってくる。

 それが何者であれ。

「あら、おかえりなさい。シン」

「―――――ひぃ」

「失礼ね……」

 憮然と佇むイリヤスフィール。

 藤村組預かりとなったはずの少女は藤村に伴って、もしくはひとりでちょくちょくと衛宮邸にやってきている。衛宮がそれを快く受け入れているし私の反対など三対一で無視されるのが常である。

 というか、あの夜の事が一々フラッシュバックしてまともに目を見ることさえ適わない。

 少女もそれが分かっているようで私に対しては尚一層横柄な態度をとってくるので始末に負えない。私にできることと言えば、身を隠しながらぼそぼそと文句を言うことくらいである。

「さ、郷へ帰りなさいよぅ、このあくまっこ……」

「そう言うセリフはもう少し、こっちに近づいて言いなさい。話難いったらないわ」

「……え、衛宮は?」

「お買いもの。二時間くらい前にでたからそろそろ戻ってくるんじゃないの」

 二十分ほどの地獄を味わった後、ようやく帰ってきた衛宮の声が玄関に響いた。

 脱兎の勢いで玄関に向かいながらも直前でそれを悟られないように息を整え、出迎えの挨拶を口にする。何度言っても緊張してしまうのは単純な気恥しさからなのか、それとも、この衛宮邸に充満している無条件で幸せな空気がむずがゆいのか。

 とにかく、私は衛宮を出迎えた。

「おかえり、衛宮」

「ただいま、慎」

 

528

 

 都合三か月振りになってしまったので、前日というか以前起きた時の事も書くとする。

 起きてみれば既に四月も半ばだと言われて一瞬意識が飛んでしまった。

二か月も寝てしまっていたとは。しかもあの疼きは以前よりも尚一層に激しいものとなってしまっている。その場は姉さんの血液より補填は出来たようだが、血があんなに不味いとは思わなかった。

しかも、半日もすると再び眠りに落ちて気がつけばさらに一ヶ月が経っているとは、むしろ状況は悪化しただけのようだ。

 それとは関係なくいい知らせもあった。

 どうやら姉さんは先輩と上手くいっているらしく得難いものを得た嬉しさからか、姉さんからは喜色がにじみ出ていた。

つまりは、略奪する楽しみが増えたということ。先輩を奪った時姉さんは私のことをきちんと恨んでくれるだろうか。私にだけは殺されたくないと思ってくれるのだろうか。

ただ、現状姉さんの血では半日と起きていられないようなので何らかの手段を講じなければならない。まあ、この状況ならば先輩の同情を買うには役立つかもしれないが動けないのではどうしようもない。

姉さんの殺害にもどうにも体力が足りない。血を吸うときにはなぜか力がみなぎったものの今は正直ペンを持つのも難儀するほどだ。こうなると、間桐邸に仕掛けておいたアレに頼るほかない。

プランターと一緒に水をかけて腐らせておいたバルコニーの手すり。

姉さんの枕の上に落ちるように置いたダンベル。

階段に置いたボールペン。

一粒だけ中身を潰して戻した風邪薬のカプセル。

その他諸々の気が向いたときに増やしていったごくごく小さな、罠というのも馬鹿馬鹿しくトリックと呼ぶのもおこがましい、失敗する公算の方がよほど大きな蓋然性のあつまり。ほんの気まぐれで壊される弱弱しい悪意。

但し十重二十重と重ね続ければ、いずれは1に至る。

その時こそは、強固な悪意は完成する。

結局未だに1には届かないが保険としてのあれらは未だ間桐の家に残っている。

非常に不本意であるが今はアレを当てにしよう。死に至る瞬間多少なり姉さんが幸福を逃してしまったことに絶望してくれるように願って

 

814

 

嫌な夢を見た。

先輩の家で、私と先輩と藤村先生と姉さんと姉さんと見も知らぬ白い少女が騒がしく食卓を囲んでいる夢だ。先輩の隣に私が座り、その反対側に姉さんが座り、私の左に姉さんが座っていた。

只、皆で食事をしているだけの不愉快で退屈な夢だった。

あんまりな夢だったせいか、目覚めると枕が濡れていた。

私は姉さんを殺そうとしているのになんでこんな夢を見るのか。これではまるで構って欲しくて悪戯をしている子供の様ではないか。私はあんな物望んでなんか―――。

頭を振って起きようとすると背中に鈍い痛みを感じた。げっそりと肉がそげ落ちた腕で触ってみれば、奇妙な盛り上がりが背骨にそって形成されている。やはり、体に巣食う蟲達に何か異常があるのだろうか。

だが、体の変成とは裏腹にあの疼きは今はない。関節が少々ぎこちなくなっているのも付き纏う倦怠感も二か月以上寝ていれば当然の結果だろう。それでも随分と気分が良かったので検査が終わった後車椅子を押してもらって久しぶりに外に出てみた。ほぼ半年ぶりとなる外は随分と暑く、薄く陽炎も舞っていた。

その陽炎の向こうから、私の見舞いにきたらしい先輩と藤村先生と姉さんと姉さんと、イリヤスフィールという見も知らぬ白い少が女やってきた。一瞬夢が頭を過り、ふと口元に手をやってみればどうやら私は笑っているようだった。

全くもって、馬鹿馬鹿しい。

 

 地下。

 半年前、召喚を行った地下室でイリヤと二人、桜の本当の病状を知る相手とのツテにより慎が桜を病院から連れてくるのを待つ。脇には身体の形質として私から、魔術の形質として慎から、本人の形質として桜から採取したそれぞれのサンプルよりイリヤがアインツベルンの生成技術を用いて培養した神経がぷかぷかと海草の様に溶液に浮かんでいる。なぜそんな事をしてくれるのかと不思議に思って理由を問うてみれば一言「シロウのため」と返された。

 アインツベルン独特の治癒魔術。再生ではなく交換による治療。本来はホムンクルスに対して行うものであり生身の人間には臓器移植にも等しい負担がかかるらしいが背に腹は代えられぬ。私の宝石により異常をきたした蟲達に食い荒らされた桜の神経回路では最初に考えていたよりもボロボロでそう長くは持たない。新たに治癒魔術を覚える時間はなく治癒、心霊医療を扱う魔術師の心当たりもない。

 この上は手に入るところから手に入れるしかない。

 とはいえ、多少どころではない不安は残る。

「大丈夫なの」

「今更?案外に臆病ね」

「腕や内臓って言うならともかく神経を総交換するのよ。不安にもなるわ」

「それなら最初から断りなさいよね。安心なさい、魔法使いになるよりは簡単だから」

「時計塔に入るよりは難しいんじゃないの」

「まあね」

 だけど、とイリヤが悪戯っぽく笑う。

「少なくとも聖杯を作るよりは確実に簡単よ。リン、あなたご先祖様たちよりも劣っているつもりなの」

「……言うじゃない」

 イリヤの言葉に発奮する。

 無論、彼らの事は尊敬しているけれど劣っているつもりなど毛頭ない。血を重ねるほどにその知識を深めていくのが魔術師ならば、私が大師父の直弟子たる遠坂永人に劣っている訳がない。若輩だろうと私こそが今代の遠坂だ。

 ならば、その名にかけてこの程度の事は失敗などするはずもない。

 だけど、と。

 それでどうなるのかと思ってしまう。

 結局桜は慎に執着するだろうしあの日記帳を見てしまった以上、それ以前と同じようには接することはできない。無論、助けたのだから見返りが欲しいという訳ではない。そもそも桜に言う気はない。

 しかし、それは少し寂しくもある

 ああ、やはり私はこんなにも割り切れない女だったのか。

 情けない。

「ねえ、リン。いいこと教えてあげましょうか」

 唐突にイリヤが笑いながら話しかける。精一杯応対する。

「なにかしら、楽しみね」

「運命がカードを混ぜ、勝負をするのは私達――――リン、あなたに何か不幸があるのだとしたらそれはあなたがそう仕向けた結果。だから不幸に飽きたら幸運が来るようにしなさい」

「そう上手くは行かないものよ。うん、でも……ありがと」

 心中で軽く自分を笑う。

 不安のせいで、またらしくもなく弱気になってしまった。

 最早お膳立ては整っている。

 ならば後は実行して成功させるだけ。

 その後は桜に私への興味がなかろうが、慎に執着していようが、そんな物は関係ない。

 私は桜が大好きだ。

 それだけで桜と再び姉妹になる理由には十分すぎる。

 一つ気合いを入れた所でタイミングよく待ち人が到着した。筋肉も贅肉も殺げ落ちた桜を受け取り際慎が

「お前の事はやっぱり大嫌いだけど、任せたわよ」

 と、口惜しそうに言ってきたので

「―――任せなさい」

 そう、返した。

 さて、それじゃ、幸運を引きずり寄せますか。

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