「ライダー?!」
ライダーは霊体化もしないまま何かを警戒するように衛宮邸の門をくぐりこちらに向かっていた。満身創痍とまではいかないがかなりの手傷を負っている。慌ててガラス戸を開け足が汚れるのも構わずに庭におりる。脊中に衛宮の声がかかるが今は返事をしている暇はない。
「大丈夫、ライダー?!」
「差し当たり、逃げますよ。シン」
そう言って私を横抱きに抱えるぐっと足に力を込めたところで衛宮が慌てた様子でこちらに駆けてくる。
「おいおいおい!?何でその人そんな大怪我してるんだよ!?病院病院、救急車!」
その姿を認めて呆気にとられるライダー。
「なんで、いや、そんな、心臓を貫かれて生きているなんて……」
「俺はともかく今はあんたの手当てが先だ。取り合えず家に入って」
肩に手をかけようとした衛宮をライダーが蹴り飛ばす。大分加減していたのだろう。衛宮は原型をとどめたままライナーで飛んでいき土蔵にぶつかってげほげほとせき込んだ。
「ラ、ライダー?衛宮は敵って訳じゃ……」
「用心に越したことはありませんよ。特にこの時期に不用意な接触は避けるべきです。あんな致命傷を受けての蘇生なんてことをやってのける程の魔術師が、この時期にわざわざここにいるような魔術師が、戦争に不参加な訳があるものですか。私たちは臆病なくらいで丁度いいのです」
「あ――――」
「納得いただけたようで重畳です。では」
「ほう。ちょうどいい」
背後からの蒼い声に振り返ればあの槍兵が槍を担いだまま大股にこちらに向かってきているところだった。ライダーの腕に力がこもるがそれを見とがめたランサーはひらひらと手を振って、至極どうでもよさそうに
「ああ、行け行け行っちまえ。別に追いやしねえよ。今はそっちの小僧が優先だ」
そう言って特に気がまえることもなく更に歩みを進める。
「見逃して頂けるとは有難い話ですが、あなたはそれでいいのですか。ランサー、殺せる時に殺しておかないと後悔しますよ」
「何時でも殺せるって言ってるんだよ、姉ちゃん。弱さを自覚しないと惨めだぜ?」
何を言っているんだ、こいつは。
ライダーは私のサーヴァントだ。
だったら、それはつまり、最高のサーヴァントだということだ。
「ライダー、マスターとして命令するわ。思い知らせてやりなさい」
「却下却下却下!私たちは弱いんですよ、自覚してください!シン!死にたいんですか!?ここはありがたく逃げるべきところです!!」
「え?え?えー!?」
え、嘘?ライダーが本気で叫んでる?
うわ、初めて聞いたかも。
じゃなくて
「ラ、ライダー!マスターの命令が聞けないっていうの!」
「貴方の命が最優先です!」
「うん、まあ、好きにしてくれや」
ランサーは呆れたように私たちの横を通り過ぎて土蔵に向かう。呆然とこちらを見ていた衛宮はようやく我に返ったように慌てて土蔵の中に転がり込んだ。とはいえ、サーヴァント相手ではいくらも時間は稼げまい。
もう一度、衛宮が殺される。
それは、嫌だ。とても、嫌だ。
「ライダー……」
「シンはズルイ。そのように子犬のような眼で見られれば断れるわけがないではないですか。それでご命令は、ランサーを倒すことですか?それとも、ご友人を助けることですか?」
「衛宮を、助けて」
「……出来れば倒せと言ってほしいのですけれどね、サーヴァントとしては」
苦笑してからそっと私を地面に下ろしランサーに向かって
「先ほどの続きと参りましょう。ランサー」
土蔵の入口を蹴破ろうとしていたランサーはつまらなそうにこちらに振り返ってから深くため息をついた。そして、ライダーを見てから再度溜息をついた。
「姉ちゃんよぉ、諦めようや。アンタサーヴァントとしてどうかと思いぐらい弱いぜ。やり様によっては生き残る眼があるのが聖杯戦争なんだからよ、出直せよ」
「ふむ、私もその意見には賛成ですがね?マスターのご命令とあらば是非もなし、というものです」
「やれやれ、お互い碌なマスターじゃねえな」
軽口を言い合いながら互いに大股で歩み寄り槍の間合いもすぎ、互いに拳を交えるような距離に近づいたところで足を止めた。そしてランサーを手を広げたままライダーの目の前に突き出す。
「手四つと行こうか。面白気事無き世に面白く、とはこの国の言葉らしいが、同感だ。出来るだけ楽しく行こう」
訝しげに手を見るばかりのライダーに
「真っ向からの力比べだ。これなら技量の差は関係ないだろう?小細工は無しにしておこう」
「―――では」
がっしりと指を絡めて互いに力を込める。しばらくは拮抗していたように見えたがほどなくライダーがじりじりと押しつぶされるように膝を折り始める。私がマスターである時のライダーの筋力ランクはC。しかも手傷を負っている。明らかに不利であるし、現状追い詰められている。なのに私にはライダーが不敵に口元を歪めたように見えた。
そして音もなく、ライダーの眼帯が外れ―――――
「が―――――――――!!」
「小細工は無しと言ったろう」
いつの間にかライダーが目元を抑えて蹲っている。その指の間から鮮血が流れ出し、ランサーの手の内にはライダーの―――
「その眼帯何の呪いかと思えば、コイツの封印用宝具か。しかも、潰したからと言って呪いが解除されるわけでもない、と」
言葉の通りランサーの足首は既に石化をはじめ侵食はどんどん進んでいる。
だがランサーは特に騒ぐこともなくその手に持った槍で直線のみで構成された図形を自らの足に彫りこんだ。
「嬢ちゃんも魔術師なら後学のためによく見ておきな。こいつが原初ルーンの一つ、解放のルーンだ」
そうして
こともなげに、笑えるくらいにあっさりと
ランサーの足は元に戻った。
「ぐ、ランサー……」
「元気いっぱいだな。だけどよ、もう諦めな。見えねえだろうがあんたのマスター、泣きそうな顔してるぜ?あれならもうあんたのいう事も聞くだろう。何度も言うが俺は目撃者を消しに来ただけだから、邪魔をしないなら手出しはしないさ」
だがしかし、言い終わる前に土蔵の扉が轟音とともに吹っ飛んできた。
ランサーは特に焦ることもなくむしろライダーを庇うように避けるのではなくその鉄の塊を片手で払いのける。
そして、今度こそは、その鉄の板の向こうから現れた少女に驚愕の表情を刻む。
プレートメイル、甲手、脚絆のみの簡素な鎧を身にまとい、月光を背に、威風堂々を体現するようにこちらを睨み据える少女は思いのほか低い声で
「名を名乗れ、槍兵」
「あ?何だ、決闘でもやりたいのかあんた?っか、いいさ。俺の首を刎ねたら教えてやろう」
ずいと、ランサーがもはやライダーには微塵も気を払わずに槍を構えてその身を深く沈める。さながら肉食獣が飛びかかる直前の様なその構えに対して少女は苦々しく顔を歪めながらもまるでそこに武器があるように手を握り一歩足を進める。
「――――――――――――ランサーァァァッァァァッァァァアアアアア!!」
幽鬼のように、でなければまるで化物のようにライダーが目元の空洞から血を振りまきつつ手に持った釘剣をランサーの背中に向かって振り下ろす。だが、ランサーは振り向きもしないまま思い切り蹴り飛ばす。衛宮の時とは違い今度は何の手加減もなしに。
飛んできたライダーの体が強かに私にぶつかり、思わず息が詰まる。思わず突っ伏しそうになるのを必死にこらえて、
「ライダー……」
「見ないでください、シン。今の私はあまりに見苦しい」
ライダーは私から顔をそむけるようにそう言って再び立ち上がり、ランサーに向かおうとする。それをランサーは至極下らなそうに、というか露骨に白けた表情で私たちを見ていた。
「興が覚めたな。今日はこれくらいにしておこうか、嬢ちゃん。小僧には人気のない場所は気をつけろとでも伝えといてくれよ」
ランサーはそういって衛宮邸の塀を飛び越え闇夜に消えていった。
「助かった……?」
「安心するにはまだ早い、とでも言いましょうか、シン。もう二つサーヴァントの気配が。とりあえず今現れたサーヴァンとは、いえ、ご友人は、本当に敵ではないのですか?」
「―――衛宮?」
そうだ、衛宮は、どうした。今の状況から見てあの少女は衛宮のサーヴァント。
衛宮が魔術師であることは、憎々しいが認めよう。だが、けれど、だからといって、衛宮がこの戦争に、殺し合いに参加するだなんて、衛宮が私の敵になるなんて。
ふらふらと、顔を上げ、少女の向こう側。衛宮がいるはずの土蔵に視線を向ける。
衛宮は確かにそこに立っていた。その顔に在るのは敵意か、それとも―――
そして、慌てた様子でこちらに向かって駆けてくるところを少女に腕で制されていた。
「マスター、ご用心を」
「敵じゃない!俺の親友だ!」
叫んで制止を振り切り再びこちら側に向かって走ってくる。
「敵じゃ、無いよ」
「どうやらそのようで。それでは、少し、眠ります」
そう言って、霊体化しすっと姿を消す。腕の中からライダーの重みが失せたのが少し、寂しかった。衛宮が駆けつけ私の体をべたべたと触りたくる。そうしてどこにも怪我がない事を認めると思い切り抱きしめてきた。しばし硬直するが、衛宮の心音が聞こえることに気づくと安心するとともに怒りがふつふつと込み上げてきた。
「衛宮、なんで令呪のこと黙ってたのよ!そんなに私のことが信用ならないの?」
「ああ、いやいや、ちょっと待ってくれ。俺自身よく解ってないんだ。それより、さっきの人はどこに消えたんだ?いくらなんでも手当しないとまずいだろう」
「―――は?サーヴァントの治療なんて」
そこまで言って、ふと怪訝な顔をしている衛宮に気づく。
「サーヴァントって、奴隷だろ?あんまり人のことそういう風に言ったらダメだぞ」
そしてはたと思い出した。
そうだ。衛宮はバカだった。
おそるおそる、もしくは薄々察しながら聞いてみる。
「衛宮、手の甲の痣の意味、分かってる?」
「ん?これか?そういや痣にしちゃ随分と変な形してるよな。さっき、あの子が出てきたときはいきなり熱くなったんだけど。シンはこれが何か知っているのか?」
思わず衛宮をぼぐっとぐーで殴ってしまった。
「痛い!?何するんだ!」
「煩い!だまれ、このバカ!なんでお前みたいなバカに令呪がでるのよ!?ああ、もう!衛宮、私に協力しなさい!」
「何のことだよ!?」
「煩い煩い煩い!衛宮のクセに私を出し抜いて勝手にマスターに成った罰よ!」
「だから事情を説明しろ!!」
「煩い、バカ!黙れ、バカ!このバカ!衛宮のクセにぃ!!」
「痛い痛い!!殴るな蹴るな絞めるな!ていうか何で泣いてるんだ?!」
「うるさーい!!」
しばらくそんな感じで、衛宮のサーヴァントが痺れを切らして止めに入るまで、二人ともが混乱し続けた。
Interlude in
ライダーは独考する。
自信の現在のマスター、間桐慎について独考する。
有態に言ってあまり褒められた人格をしてはいない。
自己中心的であり
こちらの忠言を聞かず
感情で動き
そして大抵が自分に被害が及ぶ。
ただ、その容姿は自分の趣味に合致しているし、
回路は痕跡だけであっても近親交配により積み重ねられたその血は十分な魔力を含み、甘露である。
子犬の様に私にすり寄る様も中々に愛らしい。
何よりも、サクラに守るように命ぜられた。
ならば、この命の尽きるまではその命を全うしよう。
だがおそらくはこの戦争、早々に脱落することになるだろう。
既に視覚を失った。サーヴァントの身体能力が優れているとはいえ、他の英雄と違い自分よりも強大な相手と戦ったことなどない。常に蹂躙戦のみを行ってきた。
ならば、すでに終わったも同然であろう。
その後、シンがどうなるか。
殺されるか
保護されるか
他のサーヴァントを手に入れ参戦しなおすか
私の知ったことではない。
まあ、生き残れるかどうかはあの友人との協力関係の成否にかかっているとみて間違いはないだろう。
同刻 遠坂邸
「アーチャー、なにそれ」
衛宮くんたちが屋敷に入るのを見てからもどり、ずいぶんと汚れた体を湯に沈め、さっぱりすっきりしゃっきりとしたところで我がサーヴァントが何やら物騒な鉄塊といくつかの片一方が丸まった円筒状の物体をいじくっているのが目に見えた。
「見て分からんかね」
「いや、わかるけど。鉄砲よね」
「ニューナンブM60。日本警察の正式採用拳銃、シングル・ダブルアクション兼用で使用実包.38×5連装、有効射程約50m、弾丸は基本的にフルメタルジャケットでだな」
「いや、さっぱりだから。ていうかどこからもってきたの」
「ふむ、拾った」
「あー……で?どうするのよそんなの。サーヴァントはおろかマスターだってそんなのじゃ殺せないわよ」
「だから今、私の血でエンチャントしている。薬莢の方にも物体化の呪いをほどこすつもりだ。護身用としてもっておけ」
「いらないわよ、ガンドあるし」
「これはこれで便利なのだがな」
「英霊がそんなものに手を出さないでよ、そもそも見つかったら身の破滅だわ」
「暗示という便利な技能があるじゃあないか」
Interlude out
「なるほど、聖杯戦争ね。物騒な話だ」
かいつまんだ説明を聞いた衛宮はそういったあとに組んでいた腕と忌々しそうにしかめていた眉をほどいてその金の眼にいつもどおりの信念の炎を灯しながら私をまっすぐに見て、決意を言葉に載せる。
「物騒なものは出来るだけ早く終わらせよう。殺すだの殺されるだの、死ぬだの死なせるだの。そんな物はフィクションの中で十分だ。ここをどこだと思っているんだ。法治国家日本だぞ。慎、俺はこの戦争に参加しよう。俺が参加するからには敵も味方も、被害者も加害者も、あちらもこちらも、十把一絡げに生き残らせてやる」
「衛宮、えと、もしかして……怒ってる?」
「多分な、だけど対象がはっきりしないから不完全燃焼で座りが悪い」
「目的のために人殺しを厭わない連中がいるってこと?」
「それもそうだが、もっとこう、漠然とした不快感が腹の中に溜まっているんだ」
衛宮はその正体を考えるようにしばらく唸っていたが、思いいたらなかったのかふぅとひとつ息を吐いて横で私をずっと睨みつけているサーヴァントに向きなおり、右手を差し出し
「そういう訳で、よろしく頼む」
これに彼女もいささか苦笑しながら握手を返す。
「元よりそのつもりであったのですが。それでマスター、彼女を如何するのですか」
私はお前に何かしたのか。
何でそんな親の仇でも見るような視線を私に向ける。
「こら、衛宮。サーヴァントの躾はちゃんとしなさいよ」
「そんなこと言われても。俺はお前と共闘したいんだけど。敵は少ない方がいいし味方は多い方がいいだろ?何より慎を敵にはしたくない」
「そこまで言うなら私も吝かじゃないけど……」
衛宮のことだから言葉以上の意味はないのだろうけど悪い気分じゃない。
うむ。存分に私を敬愛しなさい。
しかし衛宮のサーヴァントが横からその意見に異を唱える。
「賛成しかねます。マスターのご友人をこういうのは憚られますが、その、率直に言って彼女も彼女のサーヴァントも共闘するほどの価値はないかと」
「聞き捨てならないわね」
「私は決闘をしている相手の背中を狙うような輩も、その主も、信用する気にはなれません。出来ることなら、この場で斬って捨てたい」
「いやいやいや、頼むから家の中でそんな武装しないでくれ。慎もにらみ返さない。双方落ち着け。君も暴君じゃあるまいし気に入らないから斬り捨てるって言わないの。慎も腹が立つのは分かるけど実際無粋な横槍には変わりなかったんだから。な?」
「しかしマスター!」
「衛宮はどっちの味方なのよ?!」
「皆の味方だよ。ここで喧嘩しても始まらないだろ。それとな、君、一つ言っておくと俺は戦力として数えない方がいいぞ。やれることはやるつもりであるけれど本来はこんな大げさなものに関われるほど大層なものじゃないんだよ。出来ることと言えば成功率一桁の強化と歪んだ投影だけだ」
「………へたれ」
「そ、そんな素人が……?助けて、ベディ――――!」
「二人とも失敬だな。とにかくそんな訳で少しでもこの戦争の事情に通じている相棒が欲しいんだよ。その点慎は毎回参加している御三家の一人だって言うんだから情報量はけた違いだろ。情報は大切だぜ?」
「ほうら、マスターもこう言ってるんだしサーヴァントの貴方がこれ以上何か言うことあるのかしら?それとも実情のわからない敵に対する愚を犯すつもりかしら」
「私がいれば情報戦などとまだるっこしい事など必要ありません」
「ふん、猪武者」
「この臆病者」
「だから喧嘩するなよ」
しばらくにらみ合いが続いたもののマスターの意見を尊重することにしたのか、それとも単に諦めたのか、とにかく共闘に承諾をした。が一言「私は信用していませんから」と釘を刺されてしまった。
さて一段落ついたところで
「今度こそ、お風呂入らせてもらうわよ」
「ああ、その間に教会の方に電話入れておこう」
「そうね、その方がいいでしょうね。時期的に他のサーヴァントは出そろっている頃だろうし、その状況で素人がであるくのはリスクが多すぎる」
「侮辱ですか、シン」
「実際のところ、例えばバーサーカーを遭遇したとして、お前、衛宮を守り切る自信あるの?相手のマスターは当然一級の魔術師よ?」
「当然です」
「ストップ。確かに俺はへっぽこだけど一方的に守られるつもりはないぞ」
「こういう奴なのよ、コイツ。保有スキルが無茶と無謀と特攻で構成されてる訳よ」
「―――マスター、先ほども言いましたように私は貴方の剣です。ですから貴方が私を守ろうとするのでは本末転倒なのです、正直、後衛に徹するだけの実力さえないのなら部屋の隅で自分の身を守ることだけ考えていて下されば結構です」
「何でさ。女の子を守ろうとして何が悪いんだよ」
しれっと言い放つ衛宮にごてんと机の上に頭をころがしながら
「マスターには人の話を聞くという機能は搭載されていないのですか、シン」
「がんばんなさいねー」
召喚されてから二時間と経たないうちに彼女は今回の聖杯を諦めたかのような陰鬱な表情でこちらを見ずにそう問いかけたきたが私としては如何ともしがたく、むしろ良い気味。 それはともかく早くお風呂にゆっくりと体を沈め、汚れを流したい。
脱衣場でようやっと血と汗と土にまみれた制服を脱ぎ棄て軽くかけ湯をしてべっとりとこびりついた汚れを丹念に洗い落とす。流れおちるお湯は衛宮の血で真っ赤に染まっている。凝固した血液はいつまでもお湯に色を付けすっかり落ちるまでには大分かかってしまった。まったく、これだけの流血をしてよく衛宮も死ななかったものだ。
湯気を立てる純和風の湯船につかれば二月の冷気にさらされ続けた身体の末端からじわじわと湯の熱が伝わりこわばっていた筋肉、関節、そして神経がほぐされていく。
さきほど裸足で庭を走った所為か足裏がぴりぴりと痛む。
その痛みに、今晩のことがようやっと現実味を帯びてくる。
自身がしばらく前からその渦中に関わってきたというのに、ライダーが基点を設置するところを我がことのように誇りながら見ていたというのに、今更、非日常に身を置いていることが、実感できた。
「始まっちゃったな、聖杯戦争」
「今更、何を言っているんですか」
「ライダー?」
独り言に扉の向こう、脱衣場からライダーの声で返事が返ってきた。
目を向ければはっきりとその輪郭が見て取れることからわざわざ実体化しているらしい。
「大丈夫なの?」
「今戦闘となれば確実に殺されますね。それでも、サーヴァント同士の共感覚は健在ですから逃げに徹しればシンを連れて間桐邸までというくらいなら、何とか」
「とりあえず衛宮と共闘することになったから、多少は負担が減ると思うんだけど」
「負担は減るでしょうけれど気苦労が増えそうですね。彼女は余り私に良い印象を持っていないようですが」
「聞いてたんだ」
「流石に敵と二人きりにする訳にはいきません」
「衛宮は敵じゃないってば」
「シンが他人の肩を持つとは珍しい。しかもその相手が男性とは―――正直嫉妬してしまいます。浮気は許しませんよ?」
「衛宮も異性が恋敵になるとは思いもよらないでしょね……。ていうか、衛宮は友達、腐れ縁、恋愛感情はないしあり得ないの。そして私は男が好きなの」
「成程。安心しました。ところでシン」
「なに?」
「背中流しましょうか」
「マスターとして命令するわ。そこで待機してなさい。この痴女」
すっかり汚れを落として脱衣場に戻ればライダーは再び霊体化したのか姿は見えない。
見えないが。
さわさわと。見えない手で体中をまさぐられているような奇妙な感覚が。
気のせいだと思っておこう。でないと、おちおち夜も眠れない。
あれ。魔術師って、最高の使い魔で在る筈のサーヴァントって、それを使役するマスターって、もっと、もっとこう。あれ。泣いてない。夢が薄汚れた程度で私は泣かない。
「あ、着替え、どうしよう……」
体を拭いてからそこに気づくが、よく見れば二着の服が籠の中に入れられていた。
一つは目に痛い黒と黄色のボーダーの女性物のパジャマ。端的に言って虎柄。
もう一つは、ごく普通の男ものの寝巻き。
「衛宮のだよね、これ。うん、虎柄よりはマシ、よね」
衛宮には無論他意はなく、悪意も、下心も何もないのだろうが。
衛宮にしても私のことは友人の一人という認識でしかないのだろうが。
さて、どっちを着ようか。
着替えて客間に戻れば、なんとも不機嫌な顔をした衛宮が、それでも次から次へとおにぎりを握っては皿に放り投げていた。あれ、なんで供給が途切れないのに皿の上のおにぎりが増えないんだろう。
おにぎりの向こう側に居るナニかは見ないようにして衛宮に声をかける。
「教会にはもう電話した?」
ぴたりと一瞬手が止まる。すぐに動作を再開した物の一瞬でもバランスがくずれれば後は転げ落ちるように事態は悪化する。おにぎりがなくなるのも時間の問題だろう。
さておき
「何をそんなに怒ってるの」
「あれは本当に神父か。それとも聖職者ってあんな連中ばかりなのか。思い出しても腹の立つ。何が喜べだ、ああ、またムカついてきた」
衛宮にしては珍しく自分自身に関することで怒っている。それにしても言峰はそこまで度し難い人物ではないと思うのだが。怪人物であることは認めるが言うことは尽く正論であるし嘘偽りは決してしない。いささか付き合いにくい人物であっても毛嫌いするような男ではない。やはり人間がもっとも気に入らないのは図星を指された時ということか。
ふと見れば、すでに皿の上のおにぎりは三分の一が消え去っている。
「慎、早く食べないとなくなるぞ」
「私はいいわ。夜中に食べると太るし」
何より、猛獣から餌を取り上げる勇気もないし。
それよりもやっておくべきことはいくらでもある。
ライダーの視覚。
マスターの特定。
サーヴァントへの対策。
何より、遠坂、ランサーへの復讐。
衛宮と同盟は組んでも、それだけは譲れない。
私のプライドと、私のライダーをキズものにした恨みは必ず、はらす。
「と、その前に。衛宮、お前のサーヴァントのクラスを教えなさい。同盟組むのならそれ位は知っておかないと」
「えっと、いいかな?」
とは衛宮。
「お好きにして下さい」
とは衛宮のサーヴァント。
双方、なんとなくよそよそしい雰囲気が。
あれか。まだ私と同盟を組むことに反対なのか、こいつ。
「拗ねるなよ。クラスはセイバーだ」
「衛宮のクセに当たりを引くなんて、生意気」
「同盟組む以上は喜べよ。それで、お前のサーヴァントはさっきの髪の長い人なのか」
「そう、クラスはライダー」
「満身創痍って感じだったけど大丈夫なのか」
「失敬ね。ライダーはこの私のサーヴァントなのよ。だったら例え四肢が捥げようが、例え首だけになろうが、たとえ八つ裂きにされようが、常に最高のサーヴァントよ」
「状況判断はしっかりしろよ、慎。それで他の参加者の事は分らないのか」
「確実なのは遠坂がアーチャーを召喚したってことね」
「その根拠は?」
「消去法よ。あの赤い騎士が遠坂のサーヴァントなのはわかるわよね。まず、ライダー、セイバー、ランサーではない。アサシンはマスター殺し専門のサーヴァントだから却下。キャスターが剣を使う由縁はない。バーサーカーに理性がある筈はない。だから残る可能性はアーチャーだけって訳」
遠坂のことだからセイバーを召喚しようとしたのだろうけれど、生来のうっかりを発動してしまったのだろう。しかもよりにもよって衛宮にセイバーをとられるとは。
いい気味、というものだ。
「慎、何か笑顔が悪いぞ。とにかく現状分かるのはそれだけか。対策は明日考えようか。学校もあることだし」
「は?お前、普通に学校行く気なの?戦争中よ」
「だからこそだよ。堂々としていれば逆に分らないんじゃないか?」
「マスター同士、サーヴァント同士は近くにいればそれと分かるものなの!」
「あ、そうなのか?んでも、やっぱり学校をさぼるのはな、ダメだろ。日常は大事にしないと」
「バカじゃないの、バカじゃないの、バカじゃないの?!この自殺志願者!」
「む、なんでさ。学生が学校行くのは当然だろ」
「―――っ!っの、バカ!いいわよ、勝手になさい!そのかわり、きちんとセイバーを護衛につけなさいよ」
「それは無理。セイバーは霊体化できないらしいから目立ってしょうがない」
「……唖然」
「呆然?」
「……ふん。それでこそ、衛宮よ。そうよね。所詮衛宮のサーヴァントだものね、たとえ最優のサーヴァントといっても。……くふふ」
「侮辱しますか、シン」
「はん、バーサーカーでも撃退したら褒めてあげるわ」
結局細かい事は明日ということで就寝することになった。ここでもひと悶着あったのだが、最終的に私、衛宮、セイバーの順で部屋を並べることで決着した。
いつもとは違う布団の感触になかなか寝付けずごろごろしていると、足もとに誰かの気配が現れた。上体を起してみればライダーがそこに控えていた。その眼には常につけていた暗黒神殿はなく閉じられた瞼が在るだけだった。そして、そのまぶたの下には、ただの洞があるだけで、ライダーの象徴である石化の魔眼、キュベレイは、もうない。それは私の命令に従った結果で、つまり、あれは、私の―――
「シン、一つお願いがあります」
ライダーに声を掛けられ心臓が跳ね上がるほど驚いた。
お願いとは何だろう。
恨み事なら大人しく聞こう。
罵倒であったとしても甘んじて受けよう。
それはとても辛いことだけれど、悲しいことだけれど、それで、ライダーの気が晴れるなら、ライダーが私が魔術師であるための道具であってくれるなら。
「シンの眼を私に下さい」
「分かったわ」
なんだ。その程度のことか。その程度でいいのならなにも不安になることもなかった。ライダーのためなら例え心臓だって差し出すのに。
私の答えに狼狽しているのはむしろライダーの方であるように見える。しばらくぽかんと口を開けていたがすぐに気を取り戻したように私に顔を寄せる。
「よろしいのですね、本当に」
「それでライダーの眼が元に戻るなら。でも痛くしないでね。痛いのは大嫌い」
「ありがとうございます。ええ、大丈夫。優しくしますから」
ライダーは薄く笑うと私の左目をその手で塞いだ。視界の半分が暗くなる。
すぐに手は外されたが視界は戻らず未だ暗いままであった。手で触れてみれば眼球は確かにそこにあるのに左目で物を見ることが出来ない。残った右眼でライダーを見てみればその左目は開かれこちらをみていた。だが、あれは只の人間の眼球だ。単なる外部刺激に対する受容器としての機能しかない只の感覚器官だ。
本来の、見たもの全てを石化する、ライダー本来の最上の魔眼とは似ても似つかない駄作だ。
「ライダー、それは」
「シンの左目の「見る」という機能をこの義眼に移させていただきました。一応キャスターの適性もありますしこれ位は。しばらく不自由を強いることになると思いますがご容赦ください」
「それはいいんだけど、只の眼よね。魔眼でも何でもない只の人間の眼よね」
「ええ、何の力もない只の感覚器官です。けれどそのおかげでこうしてシンの顔を見ることができる。暗黒神殿をつけたままでも見ることは出来ましたが、そんな手間をかけず、直接見ること出来るのは嬉しいですね」
「うん、私もライダーの顔が見れて嬉しい。やっぱりライダーは美人だね」
二人して朗らかに笑ったところでライダーがごくごく自然に
「ところでお腹が空きました」
「横で衛宮が寝てるから吸ってきなさい。私の血を吸うより効率いいでしょ」
「そちらの方が気持ちいいのですが。それにその更に横にはセイバーが居るじゃないですか」
「ボンクラっぽいから大丈夫よ」
あからさまにがっかりしながらそのまま出ていくかと思ったがふと思いついたように振り返りにやりと笑い
「誰が出てきたか明日教えて差し上げます」
「さっさと行け」
Interuled in
2月2日
今日は姉さんが帰ってこなかった。
そろそろ戦闘も始まるころ合いだろうからどこかで野宿でもしているのだろうか
ライダーが付いているから大丈夫だとは思うが私が殺す前に死なれては困る。
ライダーを召喚したことで一生をかけるつもりだった計画も一気に進展しそうだ。
一つ気がかりなのは姉さんのライダーに対する依存性が強まるにつれライダーの方も姉さんに対して甘くなっているように思えることだ。いざという時にためらうようでは困る。姉さんがライダーに依存する分には裏切られた時の絶望が加速されるだけなので構わないがそこに一片でも救いがあれば姉さんはそこに縋りつく。
となると別口の保険が必要だ。
姉さんが絶対に殺されたくない相手、姉さんが救いを求める相手、姉さんが形振りを構わずに殺したいような相手、そんな相手に殺されるなら、姉さんも絶望しながら死ぬことだろう。
そうだ。ちょうどいい。
明日、遠坂先輩に話を持ちかけてみよう。
Interuled out