「驚いた」と秋津六助は小さく呟いた。
 場所は路地裏。
 時間は深夜。
 目の前には少女が一人、立っている。まるで男の子のように短く刈り込んだ赤い髪。頭上のビルの隙間から差し込む月明かりに照らされる金色の瞳。手には何も持っていない、まるきり空手のはずだった。しかしこちらに向かってくる途中、くぐもった声で短い言葉をつぶやいたかと思うと夜の闇に溶けそうな黒と月の光に混じりそうな白の剣が掌中の空気を使った造形品のように現れた。少女の体格に比すれば明らかにオーバーサイズなその双剣を、しかし腕の延長のように軽々と振るってきたのを転がるように避けるがざっくりとコートの袖ごと右腕を斬られた。
 筋を断たれたのか、動かない右腕に手を当てながら少女から距離をとる。
「いや、本当に驚いた。まだ僕以外に殺人鬼がいたとは思わなかった。まったく、ここのところの死亡件数が酷いことになるはずだ」
 六助の言葉に少女―――衛宮士郎は不機嫌そうに眉を潜める。同類扱いされたことが気に入らないらしい。
 それをみて、今度は逆に六助が鼻に皺を寄せた。
「君は人の頭に向かって金属バットをフルスイングできるタイプじゃないのかい」しかも、と六助は続ける。「しかもそんな手品を使って。最近はそういうのが流行りなのかな、御同輩」
「俺は殺人鬼なんかじゃない」
 士郎の返答に六助は腕の痛みも忘れて意外そうな声を上げる。
「そうなのかい。一般人とそれ以外を見分けるのには自信があったつもりだったんだけどね。君はこちら側、人でなしの類だろう」
 六助の評価に士郎は先刻よりも色濃く不機嫌さを顔にあらわした。
 ひょっ、と六助が肩をすくめる。その動作が終わるよりはやく士郎が足を踏み出した。一つ瞬きをする間に三メートル近くあった間合いが殆ど無くなり目の前に少女の黒い剣がせまってくる。脇に積み上げられていたゴミ袋の山を士郎に向かって蹴りあげる。いくつか破けたのか生臭い腐敗臭があたりに漂うが六助はそのまま後ろ、路地裏の更に奥に向かって駆け出す。駆け出そうとした。しかし、正面から迫ってきた白い剣に足が止まる。必死に身をよじり肩口を切り裂かれながら避けきった次の瞬間足元に喪失感を覚え、未だに半分以上残っていたゴミ袋の山に頭から突っ込む。どうやら足を払われたらしくうつ伏せになったままの六助の背中に士郎の声が降ってきた。
「あんたは」
「僕は、なんだい」
 六助はごろりと山の上であおむけになる。
 左側に視線を向けてみればあっけらかんとしたネオンが痴呆めいた明滅を繰り返しているのが見えた。ほんの十数メートル向こうで白々しいほどの日常が繰り広げられているというのに、自分はゴミの山に突っ込んで見も知らぬ少女に刃物を突き付けられている。それが一層滑稽でウフッウフッと笑いが漏れる。
「あんたはもうここに居ちゃいけない」
「最初からどこに居たっていけないだろうさ。何しろ殺人鬼だ。とはいえ警察官として一つ言っておくとね、君が今からしようとしていることは只の私刑だよ。それは犯罪だ。なにしろ捕まえるのは警察の仕事だし裁くのは司法の仕事だからね。いや、そうしたい気持ちはわかるけど」
 六助の言葉に士郎は初めて驚いたような表情を見せた。それから一つ首を振って、
「もうあんたはそちら側じゃ裁けない」
「そちらもこちらもないだろう。生きている限りは法律に従わなくちゃいけない」
「だから、そういうことだ」と士郎は言った。「だから俺がこうしているんだ」
 少しその言葉をかみしめてから、六助はへぇと肺から空気の抜けるような溜息をついた。抜けた空気と一緒に様々な記憶が目の前でパノラマが展開される様に蘇ってきた。あの面構えの悪い若者、よそから流れてきたあの殺人鬼志願の若者。喉を突き引き戻そうとした匕首を握りしめへし折ったあの冗談のような若者は、血反吐を浴びせかけながら六助の顔面を思い切り握りしめたのだ。クシャッと紙を握り潰すような音が耳に響いていた。道理で、と納得する。
 道理で、この三日一睡もせず一滴の水も飲まず一欠片のパンも食べずに渇いた様に殺して回っていたというのにまるで疲れというものがないはずだ―――と六助は思った。―――筋肉の痛みや四肢のだるさ、首筋のしこりに頭の重さ、胸や胃にたまる重苦しさ。そういった諸々の具体的などこそこが痛むだのここがだるいと言った類の疲れの認識はなく、ただ曖昧に疲れているという感覚だけがまとわりついていた。
 一つ頭を振ってから改めて六助は士郎を見上げる。
 悪辣な殺人鬼の終末を手渡しにきたにしては、随分と平穏無事な顔貌をしているように見えた。
 けれどその奥にあるものは確かに宝石のごとき意志だった。それが単なる鋼玉か、ダイアモンドか、研磨しカットするに足る逸品か、用に足らぬ微小なものか―――六助の目からはその判断はつかず、結局未だ泥に塗れた石ころのようにすら見てとれた。
「君がお化け屋敷の主か。なるほど、魔女が棲んでるっていうのは本当だったわけだ」
「魔女の弟子だよ。ついでに、俺は男だ」
 些か以上にうんざりしたその様に六助は何かを思い出すように苦笑いを浮かべる。
「あー、うん。ウチの娘もほんの二三年前まで第二の人格がどーとか第三の眼がこーとか前世があーだ運命がこーだ言っていたけど今それを訊くとのたうってるよ。君も早くそう言うのからは卒業した方がいい。あ、いや。ゴーストスイーパーがいるんだからそういうのもありなのかな」
 うむむと首をかしげる六助はいよいよ振りかぶられた双剣を見ながら、
「ところで君はもしかして女の刑事に頼まれたんじゃないかい、ボブカットで童顔の。……へぇ、そうかい」
 返事を待たずにどこか嬉しげに噛みしめるように呟く六助に士郎が続けて言葉をかける。
「それでなくともあんたを、探していた」
「なんだい、悪は見過ごせないって言うのかい?」六助はクスクス笑った。「まるで正義の味方みたいだね」
「そうとも」と士郎が鋭く言った。
「―――いや、いやいやいや。そうかい、そうかいそうかいそうかい。だったら、ふふん。素直に殺されちゃやれないね」
 肩を震わせながら六助は楽しそうに謳う。
「殺人鬼。そう、この僕は殺人鬼だからね。なるほど、正義の味方に殺されるのは素晴らしくハマったオチだ。そのオチからは逃げられないだろうさ。―――だけど殺人鬼は矜持を語らず倫理を謳わず希望に縋らず、惨めたらしく悪あがきをしなけりゃならないと決まってるんだ」
 そして自分の首筋をトントンと手刀でたたく。
「首を落とされたら首だけで噛みついてやる。……ああ、もう死んでるんだから祟ってやるの方がいいのかな?とにかく、しくじったら命はないと思え、正義の味方」



「遠坂?ああ、うん。終わったよ」
『ご苦労さま』
「遠坂」士郎は今冬木ではたすべき諸々の用がすべて終わったことを感じ、僅かに喉を詰まらせながら聞いた。「何人死んだんだ」
『死徒が47人、間桐臓硯が19人、例の殺人鬼がゴーストになってから7人、合わせて73人』
「多いな」と士郎が言った。
『多いわよ』 と凛が応えた。
「遠坂、俺泣きそうだ」
『帰ってきたら泣いていいわよ』 

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